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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
617/964

栄華の坂~95~

 機略によって師武軍を撤退させた条元ではあるが、慶師に寄らずにそのまま栄倉へと帰還した。そのことが慶師にいる面々、特に斎文の心象を悪くした。

 「何故、条元は余の下に来ぬ!余をそれほどまで嫌うか!」

 斎文はさも条元が悪いと言わんばかりに激怒したが、条元にも言い分があった。条元は斎文によって閣僚の地位を解かれている。一般的に斎慶宮に入るには閣僚であるか、国主の特別の許可がなければならない。だから今の条元が斎慶宮で斎文と対面するには許可を与える書状を遣わさなければならなかった。斎文はそれを怠っていたのである。そのことを指摘する閣僚もおわず、斎文は自分の不手際のために一人怒鳴っているようなものであった。

 『もうこの主上は駄目かもしれぬ』

 多くの閣僚がそう思っていた。所詮は他者によって擁立された君主である。個人の資質としては並であり、条元という逸材によって擁立されたからこそ公子としての輝きを持ち、国主となれたのである。その光源を失った今、斎文は国主という地位に座る凡夫に過ぎなかった。

 『これは条元の時代が来る。いや、条元が国主となろう』

 そのように考える者達も少なくなかった。中原に国家が誕生して三百年が過ぎ、仮国や仮主も出現している。条元が国主として斎国を治めることに抵抗を感じる人々が何人いるだろうか。そういう勘定ができる者達はすでに来るべき未来にむけて行動を起こしていた。

 その中で律伸は別の方向で行動を移していた。

 「条元を排除せねば!」

 もはや条元の名声を止めることができない。このままでは条元が斎文を凌ぎ、その地位を奪うのは時間の問題であるという認識は他の閣僚達と同じである。しかし、律伸としては条元の下につきたくない。もし条元が国主となったとしても、条元の下では国政に参加することなどできないであろう。あくまでも斎文という凡器を主君に抱いていこそ、その下で国政を思うままにできると考えていた。そうなると律伸が取り得る行動はひとつ。条元を物理的に排除してしまうことであった。

 「主上、条元の行いは不遜そのものです。主上の救援に応じないどころか、慶師にも寄らず帰還してしまいました。また諸侯が主上ではなく条元を頼りにし、人気を集めております。これは明かに主上への反逆です。ぜひ天下に条元の非を鳴らし、勅命をもって条元を討伐すべきです」

 律伸は執拗に斎文に迫った。流石に斎文は困惑した顔をしながらも、律伸の進言を否定することもなかった。

 実はこの時、律伸と歩調を合わせていた波朝は斎文という主君を見限っていた。

 『口惜しいが条元の勢いを止めることはできない』

 とはいえ、条元が国主とならんことを是認することはできない。なんとしても斎文と条元の間を取り持つしかなかった。

 波朝は閣僚の中で条元に最も近い存在である南殷に使者になってもらおうと考えた。しかし、すでに南殷は斎文に見切りをつけ、条元のいる栄倉に身を寄せていた。

 『こうなれば私自身が使者となろう』

 そう決断した波朝は密かに慶師を出発した。このことが余計な誤解を生むことになった。波朝が斎文を見限り、条元のもとへ逃げたという噂が立ち上ったのである。このことが斎文と条元を間を決定的に裂く結果となった。

 「波朝は裏切者ぞ!これを引き渡さねば、条元もその一味とみなす!」

 斎文の怒りはそのまま勅命となってしまった。


 波朝を引き渡すべし。これは勅命であり、同時に条元への最後通告でもあった。引き渡さねば条元は朝敵となる。その覚悟を条元に問うものでもあった。

 条元のもとに届けられた勅状を見せられた波朝は戸惑うしかなかった。彼は斎文を裏切ったわけではなく、なんとか条元との間を取り持つつもであったが、それを曲解されてしまったのである。

 「条元殿、これは大いなる誤解だ。短慮を起こされてはならぬ。私が今すぐ慶師に戻り、主上の誤解を解いて参る」

 「波朝殿、それはやめた方がいい。短慮を起こされているのは主上の方だ。あるいは主上の近くに侍る者達がよからぬことを吹き込んだかもしれません。どちらにしろ波朝殿が戻られても火に油を注ぐようなものとなりましょう」

 「しかし……」

 「それに波朝殿のお命も危ないかもしれませんぬぞ。何しろ貴殿は今、私に味方して敵となったと思われているのですから」

 「それは困る」

 困るも困らぬもあるまい、と条元は失笑しそうになった。波朝が困ったところで、どうとなるものでもなかった。

 『さて、どうしたものか……』

 条元としては斎文と手切れになっても構わなかった。だが、それがいつであるべきかということを考えねばならなかった。条元は勅使に返答を待たせ、堂上に残っている条隆を呼び寄せることにした。

 

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