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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
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栄華の坂~94~

 師武軍の慶師への進軍は斎慶宮の面々を震え上がらせた。くどいようではあるが、斎国は国主直轄の軍隊というものが少ない。どうしても諸侯の軍勢というものに頼らねばならず、斎公の威光が強い時はたとえ慶師が軍事的に危機に陥っても救援に駆けつける諸侯が後を絶たないが、現在のような乱世になってくると様子見をする諸侯、日和見して師武に協力しようとする諸侯も後を絶たなかった。師武が一気に慶師へと兵を進めることができたのも、そのためであった。

 斎文派の諸侯の中で最も慶師に近いのは旧雷鵬領を手にした律伸であった。律伸は当然ながら慶師防衛のために兵を出したが、不安ではあった。律伸軍の主力は三定藩にあり、何よりも斎文を擁立してきた諸侯が頼みにしてきたのが条元軍である。条元なくしてやりきれるだろうか、という不安が律伸にはあった。律伸は条元に早馬を出す一方で、

 『ここで我が軍だけで守り切れば、私の名声があがり、条元を凌げるかもしれない』

 という色気を感じていた。腹を括った律伸は、旧雷鵬領に駐屯していた兵を率い、進軍途上にある師武軍の進路に立ち塞がった。

 「条元が来ていないとなれば敵ではない!一気に叩き潰せ」

 師武は寡兵ながら出撃してきた律伸軍に罠など感じなかった。寧ろ律伸軍の陣容に功の焦りを感じ取り、攻める選択をした。

 「斎国慶如きに敗れた大将軍よ。負けようはずがない!」

 律伸にはそのような油断もあった。師武など取るに足りない。そのことも律伸の自信となっていた。

 勝敗は師武軍の圧勝であった。前線が敗勢になると律伸は堪らず撤退を命じた。その後尾を師武軍に散々に噛みつかれ、律伸自身も命からがら慶師に逃げ帰ることができた。慶師はまたまた師武軍に脅かされる事態となった。


 「条元は来ぬのか!」

 斎慶宮にいる斎文は朝議の度に泣き叫ぶように閣僚達に尋ねた。閣僚達は誰しもが俯き、自分に問い詰めるのを避けるようであった。

 「普段は閣僚として威張り散らしているのに、敵に攻められればこの体たらくだ。条元がおらねば何もできぬ者達よ!」

 斎文は顔を真っ赤にし、閣僚達を罵った。国主になるまで条元の言を素直に聞き、貴人らしく感情を押し隠すことを覚えていた斎文と同人物かと疑いたくなるほど、今の斎文は感情の奔流を止めることができなかった。

 「そもそも条元もだ!余が窮地にあるのに助けに来ない!」

 くそっと斎文は玉座を蹴った。その荒々しさについて後世の歴史家は、単に精神的に追い詰められていただけではなく、病に罹っていたのではないと分析している。この分析に根拠がないわけではない。

 国主として慶師に入った斎文は、それまでの放浪の貴人としての禁欲な生活から解放され、美酒と美女を愛する生活に走った。とはいっても、一国の国主なら嗜む程度の範疇であり、批判されることはでなかったが、かつての健康的な生活から逸脱していたのは事実であった。

 『どうやら主上は気分にむらが出てくる病だったようです』

 そのように証言する典医もいたという。しかし、それが真実であったかどうかは確認できず、条元が条国を建国した後、斎文の周囲にいた典医の何人かが行方不明となっていた。そのため条元が典医を通じて斎文に毒を盛ったという噂も流れたほどであった。

 ともあれ、斎文は感情を抑えることができずにいた。さっきまで怒り散らしていたかと思うと、師武軍が迫ることに恐怖を感じているのか、急に顔を青くして玉座にがくっと力なく腰を下ろした。

 「折角、国主となったのに……何もなさぬままに……」

 斎文は俯きぶつぶつと呪文を呟くように独り言ちた。

 「主上、条元には早馬を出しておりますので……」

 閣僚のひとりが声をかけても斎文は応じなかった。誰しもがこの若き国主の行く末に不安を感じていた。


 それから数日過ぎても師武軍は姿を見せなかった。斥候を出しても師武軍の所在が掴めなかった。どうやら師武軍は撤退したらしいということが分かったのは、それからさらに数日後のことであった。

 「どうやら条元軍が師武軍の後背を脅かし、師武軍は撤退しなければならなかったようです」

 詳細を仕入れてきた斥候がそのように報告した。

 慶師の危機であると知った条元は、直接慶師に向かって師武軍と正面切って戦うよりも、師武軍の後背を手段する動きを見せた方が手早いと判断した。その判断は正解であった。条元軍が自軍の後方に進出したと知った師武はすぐさま徹底を決意した。

 「条元ほどの男を後に回して戦えるはずがない」

 師武はこれまでの条元軍の戦いぶりを知って明かに不利になる戦いを避けた。師武軍は大した損害を出さず、自己の勢力圏内まで撤退することができた。条元もほぼ被害なく、師武を去らしめることに成功した。

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