栄華の坂~92~
条元が慶師に上ってきたのはそれから半年後のことであった。諸侯達は待ちかねていた。
『条元殿がいなければ始まらぬ』
というのが多くの諸侯の意見であった。慶師には恩賞を求める諸侯や領土紛争の解決を持ち込む諸侯が詰め掛けている。彼らはいずれもそれらを解決してくれる人物として条元に期待を寄せていた。何しろ条元は斎文を国主にした最大の功労者である同時に、その器量と才覚は天下に知れ渡っている。諸侯の期待が集まるのは当然であった。
条元は朝議に出席し、それらの案件について意見を述べた。その内容は実に整合性が取れており、異論が挟まれることはなかった。
このような例がある。とある領主が隣接する藩主との間で河川の利用についてもめ事を起こしていた。客観的に見て領主の方が分が悪かったのだが、この領主は斎文擁立のため条元に味方しており、片や藩主の方は静観を決め込んで動かなかったので、条元が自分に有利な裁定をしてくれると信じて疑わなかった。しかし、条元は冷静に問題を見極め、他者の意見を聞き、領主の訴えを取り下げた。たとえ味方しても理非については厳格であり、許すことがなかった。このような条元の姿勢が名声をより高めたのは言うまでもなかった。
しかし、条元は多忙であった。慶師に上ったかたと思えば、二日三日で美堂藩に戻り、またしばらくして慶師に来るという状況が繰り返された。双山藩の攻略という仕事もあれば、新たに編入された栄倉一帯への治世も急務となっていた。特にこの頃、条元は自分の拠点を栄倉に移そうと考えていた。
「栄倉は天然の要害だ。兵糧さえしっかりとしておけば守るに容易い地形だ」
そのために条元はすでに家族を栄倉に移住させている。そして年老いて栄倉に留まることをしてきた母を安心させるためでもあった。
このため栄倉には訴訟や問題を抱える諸侯が詰め掛けるようになった。いつ上ってくるか分からない慶師よりも、直接栄倉の条元のもとに訴え出た方が早いという判断であった。山間の寒村にすぎなかった栄倉がちょっとした規模の大きい邑になるのにそれほど時間がかからなかった。
「どうだな、耀子。母上とはうまくいっているかな?」
「ししし、流石は旦那様の母上じゃ。一筋縄ではいかぬが、会うのは楽しい」
条元は母を自分の屋敷に招こうとしたが、母はそれを嫌った。何かしら尤もらしい理由をつけてはいるが、照れ隠しであり、条元に迷惑をかけたくないという意思に表れであることは息子としてよく分かっていた。そこで条元は定期的に条耀子と子供達を母の所へご機嫌伺いに向かわせていた。
「そうか。上手くやってくれているならそれでいい」
「しし、母上に言われたわ。実に我が息子の妻らしいとな」
条耀子は実に嬉しそうだった。実母を早くに亡くしているから、あるいは本当の母親のように思っているのだろう。
そこへ家宰を務めている条隆が姿を見せた。ある諸侯が訴訟に関して早急に条元に会いたいと言ってきているらしい。
「会おう」
条元は状況が許せばすぐに会うことにした。このことも条元の人気を得るいひとつの要因となった。
条元は訴訟人の意見をいつも黙って聞いた。聞き終わるまで発言せず、その場で結論をくだすことはなかった。
「貴殿の意見は承知した。すぐに慶師に書状を送り、沙汰が下りるようにしよう」
と言って条元は訴訟人を下がらせ、すぐに訴訟の内容と条元の意見を書き添え、慶師に送った。この書状が斎慶宮の朝議で議論され、行政化されるという仕組みになっていた。
訴訟人が去ると、入れ替わるように条隆が部屋に入ってきた。にやにやとした顔つきで条元の前に座った。
「嬉しそうだな、隆」
「そりゃもう。今や殿は天下の主催者ですから。これが嬉しくないわけがありません」
「天下の主催者とは大げさだな。尤もらしい役職を貰ってはいるが、所詮は臨時の職だ。いずれ捨てられるさ」
「ということは慶師に動きが……」
「まだ明確にはないが、近いうちにあるだろう」
条元に諸侯の衆望が集まることによって慶師にいる面々から恨みを買う。条元も条隆もそのことをすでに予期していた。特に国政に野心のある律伸や、丞相とならんことを望んでいる波朝などは条元を追い落とす隙を狙っているだろう。
「慶師の動きは黄絨を使って探らせていますが、今度慶師に上られる時は気を付けられた方がよろしいかと」
「そうだな。問題は主上だ。主上にあらぬことを吹き込み、主上が俺に敵意を持つようになられては困る」
条元はあくまでも斎文を国主として立てていくつもりであった。
「主上は聡明ではいらっしゃいますが、やや腰が据わらぬところがあります。もし殿に敵意を持ち始めた時は、御覚悟なされた方がよろしいと思います」
「ふむ……」
条元としても非常の時は考えていた。斎文を国主として生かすことが斎国のためにならず、あるいは条家にとって害悪となる場合はこれを廃することもやむを得ないと思っていた。




