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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
611/964

栄華の坂~89~

 条元に向けた使者が追い返された時、斎国慶は余裕の態度を見せていた。

 「ふん。条元とやらは時勢が読めぬらしいな。それに擁されている斎文も知れている」

 斎国慶は鼻で笑ったが、破竹の勢いで進軍してきた条元軍が慶師近郊に姿を見せた時には流石に余裕を失っていた。

 「馬鹿な、斎文如きに人が集まるなどと……」

 それが斎国慶には信じられなかった。諸侯が斎文の下に集まってくるのは条元の器量に寄るところが大きいことぐらいは斎国慶も承知していた。だが、それでも斎文に人としての、君主としての魅力がないと条元も斎文を擁立しないであろうし、諸侯も参集しないだろう。

 『俺と文で何が違う!』

 違うところだらけではないか。学問をしても、武術で争っても、斎国慶の方が上であった。まだ斎幽が生きていた時代、延臣達に人気があったのも斎国慶であった。次期斎国国主に相応しいという声も斎国慶の方が大きかったはずだ。それなのに斎幽は斎国慶に譲らず、今もこうして風前の灯となっていた。

 「父はあるいはこうなることを分かっていたのかもしれんな」

 いくら悔いてももはや後の祭りである。斎国慶には残された選択肢は決して多くはなく、どの道を行こうが斎国慶が国主でいられる時間はわずかでしかなかった。

 「それならば俺は国主として生き抜くまでだ」

 斎国慶は再び籠城ではなく野戦で勝負を挑むことにした。師武との戦いで勝利し、味を占めたということもあった。斎国慶はわずか三百名ほどの近衛兵を率い、条元軍を迎え撃たんとした。


 「殿、斎国慶は籠城する気がないようです」

 前線の督励に来た条元に条春は敵情を報告した。慶師を出撃した斎国慶軍は一気に攻めてくる様子はなく、じっとこちらを窺うように陣を留めていた。

 「師武と戦った時の勝利を忘れられないのだろう。だが、こちらに隙が無いので攻められないというところか」

 師武と斎国慶の戦いについては条元も詳細を得ていた。そこから斎国慶が同じ戦法を取るかもしれないと予測していたので、本陣を後に下げて条春の部隊のみを前面に出していた。

 「油断をするつもりはありませんが、我らだけでも充分勝てましょう」

 「そうだな。しかし、必死の敵というのは恐ろしい。慎重に戦うのだぞ」

 斎国慶がどのような戦い方で挑んでくるのか。多少の興味はあったが、今の条元が考えるべきは戦後のことであり、後は条春に任せるつもりで前線を後にした。


 その夜、斎国慶は夜襲を敢行してきた。圧倒的に兵力に劣る斎国慶が逆転の一手を打つとするなら夜襲しかなかった。しかし、数々の戦場に出て勝利してきた条春が夜襲を警戒していないはずがなかった。今夜敵の夜襲があると予測していた条春は鎧も脱がずに起きていた。敵の夜襲という報告を聞いた条春は傍に立てかけてあった槍を掴むと、自ら夜襲を受けている方向に駆け出していった。

 「敵は所詮寡兵だ。秩序をもって反撃しろ!」

 条春は自ら槍を振るって将兵を激励した。前線の条春軍は諸侯の混成部隊であったが、大将の条春自身が戦っている勇姿は諸侯の競争心をあおり、同時に勇気づけた。

 「御大将が奮戦している。我らが働かずして武人といるか!」

 「条家ばかりいい格好をさせるな!」

 斎国慶からすれば、混成部隊という急所を突いたつもりでいただろうが、条春軍は組織的に夜襲を防ぎ、急所とはならなかった。

 「敵は夜襲に備えていたのか!」

 自らも夜襲部隊の一員となって剣を振るっていた斎国慶は焦り始めていた。朝までに条春軍を撃破するか、致命的な被害を与えて撤収するかしないと、敵中に孤立した斎国慶軍が日の光の下に晒されることになる。そうなれば斎国慶軍は敵全軍の格好の獲物となるだけであった。

 「主上、ここは一度引きましょう」

 身辺を守る近衛兵が進言した。すでに地平線が白み始めている。間もなく夜明けである。夜が明ける前に戦場から離脱しなければ、斎国慶は戦場で孤立して包囲されてしまう。

 「くそっ!俺もここまでか!」

 斎国慶は戦場からの離脱を決意した。日が完全に昇りきるまでに斎国慶は戦場から脱出することができたが、斎国慶軍はすでに崩壊していた。対して条春軍は夜襲を受けたにも関わらずほとんど被害がなかった。

 「斎国慶を捜せ。生死は問わぬ」

 条春は戦闘が終了すると、斎国慶の姿を捜させたが見つかることはなかった。この後も条元は斎国慶の行方を探索させたが、やはり見つからなかった。斎国の歴史の中でわずかな期間ながら燦然と輝いた斎国慶という男は斎国の歴史から完全に消えることになった。斎国を出て静国へ向かったとか翼国へ向かったとか色々な説があったが、真偽が判明することはなかった。

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