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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
608/964

栄華の坂~86~

 費閑はひとまず斎国仲を客間に通した。当然ながら下座に座り、斎国仲は当然とばかりに上座に腰を下ろした。

 「費閑よ、国慶との間は切れたようだな。どうだ、俺と組まないか?」

 斎国仲はいきなり切り出した。あまりにも単刀直入な発言に費閑は斎国仲に卑しさを感じた。

 普通であるならば、国主を僭称する斎烈と斎国慶を討つとか、斎国のために決起するとか、色々と尤もらしい理由を本心でなくても言うはずである。しかし、斎国仲の言い様はあまりにも生々しく、率直過ぎた。

 『この男に大義は理解できまい』

 ならばやはり行動を共にするに値しない男である。唾棄したい気分を押さえつつ、この貴人には丁重にお帰りいただくことにした。

 「公子。先程の敗戦で我が戦力は相当な損失を受けております。すぐに兵を起こすのは無理でございます」

 戦力が消耗しているのは事実である。だが、連携している諸侯と合わせればどの勢力にも劣らぬだけの戦力を準備することができた。費閑はそのことはあえて言わなかった。

 「そ、そうか……」

 斎国仲はあからさまに失望した表情を見せた。苦労を知らぬ公子は自分が言えば、すぐにその通りになると思っているのだろう。

 「で、では。しばらく世話になりたい。共に捲土重来を待とうではないか」

 『何とずうずうしい!』

 費閑は我慢の限界であった。こんな男に仕えるぐらいならば、死んだ方がましである。

 「いい加減にすることだな、公子。貴方の言葉には実がない。いや、貴方自身にも人としての実になるものがない。もはや公子という地位に胡坐をかいていられる時代ではなくなったのです。それがご理解できないから、大将軍の陣営からも飛び出したのでしょう」

 費閑は声を荒げることはなかった。しかし、語気には重みがあった。

 「丞相、無礼であろう!」

 斎国仲の方が声を荒げた。顔面は蒼白で、全身は震えていた。

 「無礼?斎幽様はすでに亡い。貴方は公子でもなんでもないのだ。私が貴方に敬意を払うべき何ものもない。そこらの庶人と変わらぬでしょう。いや、庶人の方が日々の糧を得るために真面目に働いておりますな」

 「よくも言ったな!費閑!覚えておけよ、俺が国主となった暁には、貴様を第一番に処刑してやる!」

 斎国仲は費閑を睨みながら席を立った。彼の近習達も怒りをみなぎらせながら立ち上がったが、誰一人として費閑に組みかかろうとする者はなかった。ここで費閑に危害が加えれば、生きて帰れないことぐらいは斎国仲達も理解しているようであった。

 「どうぞお好きに」

 「ふん!」

 斎国仲達はぞろぞろと出ていった。近習の中には罵声に近い言葉を費閑に浴びせかけたが、費閑からすると片腹痛かった。威勢がいいだけで何もできない連中である。何を言われてもまったく費閑に響くことはなかった。

 『これでいい』

 費閑はわざと斎国仲を怒らせた。下手に出て宥めれば理由をつけて居座るのは明白であり、怒らせて自ら席を立たせる必要があった。

 「国主になったら私を処刑するか……。それはそれで楽しみとしておこう」

 もはや費閑には斎国仲のことなど頭から消え失せていた。そのことが費閑の命を奪ってしまう結果となってしまった。


 費閑の屋敷を出た斎国仲は怒りが収まらなかった。

 「俺はこれほどの侮辱を受けたことはない!このままでは気が済まぬ!」

 「公子。費閑は自分が国主とならんという大それた野心を持っているのではないでしょうか?」

 近習の一人がそう囁くと、さもあらんと頷くのが斎国仲であった。

 「畏れというものを知らぬ男よ。天誅を加えねば、正義が成り立たぬ」

 理屈というものではなかった。時勢というものを心得ていれば、斎国仲が有する正義など風の前の塵のようなものであった。それが分からぬ斎国仲は、突飛もない行動に出た。北水領を出たと見せかけた斎国仲達は、その夜のうちに舞い戻り、費閑の屋敷を襲撃したのである。

 「費閑は国賊ぞ、討ち果たせば褒美は望みのままだ」

 斎国仲に仕える近習はわずかに十名。冷静に考えれば、勝てるはずのない襲撃であった。しかし、襲撃した斎国仲達は自己の正義を信じているため負けるとは思っておらず、この狂喜に等しい蛮行は、冷静な思考から導かれるはずの結果を覆してしまった。費閑が油断していたということもあったのだろう。狂信的な襲撃者はまんまと費閑の首を刎ねることに成功してしまったのである。

 「見たか!これが正義だ!」

 斎国仲は費閑の首を掲げて絶叫したが、彼の絶頂はここまでであった。駆けつけた費閑の家臣達に近習諸共斬り捨てられたのであった。

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