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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
607/964

栄華の坂~85~

 大将軍師武は占領した雷鵬領の地に斎列を迎えた。そこで斎烈は斎公への即位を宣言した。こうして斎国に二人の国主が誕生したことになった。もう一人、国主を名乗るであろう斎文は未だ沈黙を貫いている。世間の耳目は斎烈と斎国慶の争いに向けられつつも、国主となることを見合わせ服喪に入った斎文への人気が高まっていった。

 このような状況で面白くはないのは師武のもとに身を寄せている斎国仲であった。彼は師武のもとで公子として優遇されてはいるが、何かにつけて兄である斎烈と同列というわけにはいかなかった。それが斎烈が国主になることを宣言すると待遇の差がさらに広がっていき、斎国仲は見捨てられたようになっていた。

 『このままでは兄上の家臣になる他ない……』

 こうなることは斎烈と行動を共にすることを決めた時から分かっていることであったが、実際にそうなってみると寂寥感と苛立ちが募ってきた。

 『俺も公子として国主となる資格がある』

 いつしか斎国仲はそう強く思っていた。しかし、それは斎国仲の妄想に等しいものであった。斎国仲には斎烈のような長子であるという血統もなければ、斎文のように嫡子であると正当に認められたわけでもない。ましては斎国慶のように文武に秀でているわけでもなかった。斎国仲のことを利用できる価値があると諸侯が判断しない限りは、この乱世で斎国仲は埋もれていくしかなかった。それは受け入れることができれば斎国仲は斎家の公子としてそれなりの生活を維持できただろうが、潔しとしなかった斎国仲は分不相応な修羅の道を行くことを決断した。

 「国慶と費閑の間は切れたらしい。そうなれば費閑は俺の存在を欲するだろう」

 近習とそう語り合った斎国仲はわずかな供回りを連れて師武の陣営から脱走したのだった。


 逐電した斎国仲に対して斎烈も師武の冷ややかであった。この二人からすれば慶師に陣取る斎国慶との決戦が迫っており、斎国仲などに目を向けている暇がなかった。

 「俺が国主となったことを僻んだのだろう。素直にしておけば将軍か閣僚の地位をやったものを」

 馬鹿な奴だ、と斎烈は吐き捨てた。師武も、

 「おそらくは費閑のもとに走ったことでしょう。しかし、費閑ほどの男が国仲様を受け入れることはないと思われます」

 「そうだな。公子であるということしか取得のない男だからな」

 斎烈はせせら笑い、これ以後斎国仲のことを口にすることはなかった。

 

 費閑の領地である北水領への道は決して楽なものではなかった。公子として他者に守られながら生きてきた斎国仲にとってわずかな近習だけを連れての脱出行は苦難の連続であった。食も宿も自前でなんとかせねばならず、川の水をすすり、野宿を余儀なくされることもあった。

 それでも北水領に辿り着けたのは単純に運が良かったという他になかった。師武や斎国慶の軍勢に見つかることもなければ、野盗に襲われることもなかった。

 「どうやら俺には天の加護があるらしい」

 前途に明るいものを感じた斎国仲は費閑に面会を求めた。

 「なんとも迷惑な……」

 斎国仲が訪ねてきたと知らされた費閑は嫌悪を顕にした。師武軍に敗れ、自領に逃げ帰った費閑は師武がこちらに攻めてくるものだと思っていた。しかし、師武は北水領には矛先を向けず、斎国慶との対立する道を選択し、戦力をそちらに向けてくれた。

 『国慶が国主を僭称すれば、烈を擁する師武がこれを討たんとするのは道理か。ふふ、国慶がよき囮となってくれたということか』

 費閑はすでに斎国慶に見切りをつけていた。すでに斎国慶が口先だけの男であることは費閑陣営にいた者なら知っている。彼らが斎国慶に与することは金輪際ないだろう。そこで費閑は陣営にいた諸侯達と語らい、斎国からの独立を企図していた。

 『もやは斎家にこの国を治めるだけの力はない。我らは我らの国家を想像すべきではないか?』

 費閑の提案に諸侯達は当初は戸惑いを見せた。だが、斎国に二人の国主が誕生する事態になり、彼らも斎家に国主たる資格はないと思い始めていた。

 費閑としては何も斎国を乗っ取るつもりはない。斎国の中に費閑を中心した諸侯連合を立ち上げつもりでいた。その話を進めようとした矢先に斎国仲がやって来たのである。

 「いかがしましょう」

 取り次いだ家宰も困り顔であった。

 「会わぬわけにもいかないだろう。まったく、自分の価値というものが分からぬ者ほど御しがたいものはないな」

 費閑からすれば斎国慶はまだ自分の価値を知っていた。ただ価値を知っているというだけで、その価値に似合うだけの能力と器量を発揮することができなかった。それに対して斎国仲は自己の価値すら分からず、価値に似合う何ものも持ち合わせていなかった。天下に大望を持つ費閑からすれば邪魔者以外の何ものでもなかった。


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