栄華の坂~82~
斎国慶は斎幽の寝室に通された。すでに斎幽は寝間着姿で寝台に横たわっていた。斎幽はそれなりに君主との遊びを嗜んでいる。斎国慶の記憶ではこの時間帯であれば、寵姫を侍らせて酒を飲んでいてもおかしくなかった。
「おかげんが悪いのですか?」
見た感じでは病に罹っている様子はなかった。斎国慶は寝台傍の椅子に座った。
「そうではないが、余も年であるかな。そうそう毎日のように酒は飲めん。つい先頃まで伏っていたところだ」
「それは失礼しました。起こしてしまって……」
「よい。国慶が火急の用というのだ。余程のことであろう」
「は、はい」
父は自分のことを愛し信頼してくれている。斎国慶は確信して続けた。
「主上、丞相たる費閑は勝手に兵を挙げて大将軍に敗北しました。これは丞相としてあるまじき行為です。今すぐにでも費閑めを罷免し、ぜひとも私を丞相に御任命ください。必ずやこの混乱を沈めてまいります」
斎幽は斎国慶の言葉を聞いているようではあったが、視線は宙を彷徨っていた。斎国慶は念を押すように、主上と声をかけた。
「聞いておるよ。ふむ……では、その丞相のほうについたお前は何なのだ?」
斎幽は斎国慶を見据えた。非常に冷たさと鋭さが交じった視線である。そのような眼差しで見られたことなどこれまでなかったことであった。
「それは……どういう……」
「丞相が勝手に兵を挙げたのが罷免に値する罪であるならばお前にも罪はあろう。あるいは丞相が大将軍に負けたのが罪であるならばそれもお前にも罪があることだ。どちらにしろお前が丞相となることに値する功績などないな」
「主上……それは……」
「見損なったな、国慶。お前は才人ではあろうが、才に自惚れ過ぎた。自己の才覚が世間においてどれほどかを測りきれずに周りが見えなくなった男とはかくも無様なものだ」
斎国慶は激しい動機に襲われた。父たる斎幽にこれほどまで罵倒されることなどこれまでなかったことであるし、想像もしていなかった。
「お前はせいぜい一旅の部隊長程度だ。丞相どころか将軍も務まるまい。ましては国主など夢のまた夢であろう」
斎国慶の感情が怒りへと変化していった。
「余がどうして文を嫡子にして変えなかったか分かるか?あれはお前ほどの優秀ではないが、自分が優秀ではないということを知っている。要するに自分の力量を知っているということだ。そうなれば身の丈以上のことをせず、余人の言に耳を傾ける。それこそが君主の資質であろうと認めていたからだ。お前も身の丈以上の欲をかかなければ、文の下で良き相となれたかもしれんのにな」
惜しいものだ、と斎幽は憐れむように言った。
「では、私を丞相にする件は……」
「論外だな。それよりも自室で謹慎するように。しばらく反省して頭を冷やせ」
「……はい」
斎国慶は奥歯を噛み締めながら、なんとか言葉を出した。斎幽の私室を後にした時は、怒りのあまりに全身が火照り震えていた。
斎幽に謹慎を言い渡された斎国慶は素直に私室へと退いたが、しばらくして再び斎幽の部屋を尋ねようとした。
「すでに主上はお休みになられました。明朝、またお越しください」
衛兵はやや挑発的な目で斎国慶を見ていた。斎幽から自分を取り次ぐなと厳命されているのかもしれない。
「やむを得んな」
斎国慶としては時間をかけている暇はなかった。右手を上げると鎧姿の別の衛兵が数名、姿を現した。彼らは瞬く間に扉の前に衛兵を始末すると、斎国慶に剣を手渡した。
「行くぞ、もう後には退けぬ」
斎国慶は剣を手にしたまま寝室の戸を開けた。
斎国慶はかねてより斎幽を襲撃し、国権を握ることを選択肢の一つとして計画を立てていた。勿論それは最終的な手段であり、使わずとも自分が嫡子となれると思っていた。
『確かに俺は自惚れていたのかもしれないな』
斎国慶は才に自惚れていると指摘された。その通りであるかもしれないが、斎幽はその才を見くびっている。
『俺が政変を企み、心ある衛兵達を手名付けていることにまるで気がついていないのだからな』
父は偉そうなことを言っておいて底が浅い。斎国慶はほくそ笑みながら部屋に入った。




