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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
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黄昏の泉~6~

 桃厘に近づいた。まだ随分と距離があるはずなのに、街を囲む長大な壁が遠望できた。洛鵬の倍、いや三倍はあるだろうか。

 「あれは本当に街ですか?要塞か何かではないのですか?」

 たまらず樹弘は老人に問うた。

 「あれしきで驚いていたら、泉春を目の前にしたら腰を抜かすであろうよ」

 と老人が笑うと、蘆明も笑いながら、

 「街中はもっと驚くぞ」

 と言った。 

 一行はやがて門前まで辿り着いた。老人が門番に符を見せると、門が音を立てて開かれた。開かれた先に広がる光景に樹弘は息を飲んだ。

 建築物が樹弘の視界を埋めるように建ち並んでいた。平屋だけではなく、二階建て、三階建て、それ以上の高層の建物も少なくなかった。

 人の数も洛鵬など比べものにならなかった。往来の人々は、腕や肩がぶつかりそうになりながら行き交っていた。人だけではない。馬車や馬の姿も当然のように往来にあった。これも樹弘が始めて見る光景であった。

 「桃厘は伯との交易の拠点になっている。しかし、これでも寂しくなったものだがね」

 老人はそう説明した。

 「これでも……」

 「伯はまだ政情的に安定している。だから伯との交易は成り立つのだが、泉国の現状がこれではな」

 老人は壁沿いの脇道に馬車を止めた。

 「さて諸君。今宵はここで宿を取っているが、翌朝の出発まで各々好きにしてくれたまえ」

 老人が警備者達に向かって言うと、彼らは小さく歓声をあげて街の雑踏へと消えていった。

 「やれやれ。元気なものだ」

 彼らを見送った老人は、嘆息しながらもどこか嬉しそうであった。

 「あの……。彼らは一体?」

 「酒場、劇場、あるいは娼館か。まぁ、羽目をはずすために盛り場に消えたんだ。馬車の番は、この街にいる使用人がするから、蘆君も羽目をはずさんかね?」

 老人は一人残った蘆明を見た。蘆明は笑みを浮かべながら応えた。

 「いざという時のためにも、頭が羽目をはずすわけにはいきませんからね。それに街中とはいえ、警護は必要でありましょう」

 「それはありがたいが……樹君はどうするかね?」

 「僕は……」

 樹弘が迷いながらも何か言いかけた時であった。壁の上の見張り台から鐘を打ち鳴らす音が聞こえてきた。それを聞いて門近くの詰め所にいた兵士達が我先にも梯子で壁の上へと上っていく。

 「何事です?」

 老人がひとりの兵士を呼び止めて聞いた。先ほど老人が符を見せた門番であった。

 「どうも賊のようだ。そういえば君達は警備の武者か?」

 門番は蘆明と樹弘を交互に見た。

 「多少の心得は」

 と応じたのは蘆明であった。樹弘は武術の心得などからっきしなかったので黙って俯いた。

 「とにかく協力してくれ。賊はこちらの数が多いと知ると襲ってこない。弓や弩を構えてくれるだけでもいい」

 門番は樹弘と蘆明の背中を押した。樹弘は仕方なく梯子を上った。壁の上辺にはすでに警備兵達が弓矢や弩を構えていた。

 「賊はあれか……」

 兵士から弩を受け取った蘆明が壁の外側に視線を向けた。やや遠くではあったが、緑の旗を立てた人馬の群れが見えた。

 「緑山党だ。五百はいそうだな」

 門番がそう教えてくれた。その名は樹弘も知っていた。相房の悪政のために困窮を極め流民と成らざるを得なくなった民衆達が徒党を組んだ盗賊集団である。彼らは街や村を襲い、略奪の限りを尽くしていた。

 「樹君、見ておくがいい。あれこそ相房という仮王が生んだ悪しき種子だ。緑山党は確かに悪逆の集団であるが、それを生んだのは相房なのだ」

 蘆明は、盗賊集団の向こうに相房の姿を見ていた。根源的な悪は悪しか生まない。特に政治については為政者が悪ならば、民衆も悪とならなければ生存していけない。それはまさに真理であった。

 「撃つなよ。撃てば賊を徴発することになる」

 門番が大声を上げた。よく見ると、樹弘達と同じように鎧を着けていない若者が複数人弓や弩を構えていた。

 しばらくして緑山党の緑の旗は、一度も桃厘に近づくことなく地平の彼方に消えていった。樹弘達が武器を置いて壁の上から下りてきた頃には夕刻となっていた。老人が心配そうな顔で梯子の下で待っていた。

 「緑山党と聞いたが……」

 「そうです。近くにいたようです。今まで襲われずにきたというのは僥倖と言うべきです」

 「ふうむ」

 老人に怯えの色が見えた。当然であろう。下手をすれば老人が運んでいた荷は奪われ、命すら失っていたかもしれないのだ。

 「ご老体。出発を二三日延ばされた方がよろしいのではないか?」

 蘆明の提案は樹弘にも当然のように思われた。しかし、老人はすぐに顔を渋くした。

 「それでは納期に間に合わん。商人にとっては一日の遅れは万金を失うのと同等である。それに賊から守るためにそなた達を雇ったのではないか」

 そう言われれば蘆明としても反論できなかった。同じく雇われているみの樹弘も、老人の決定に従うより他なかった。

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