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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
599/962

栄華の坂~77~

 新淳は費閑より援軍を引き出すことに成功した者の、その援軍を引き連れて自領へと帰る途中で新墨の降伏を知ることになった。

 「馬鹿な!」

 報せてきたのは合井から脱出してきた近臣であった。新墨の降伏を潔しとしない者達もわずかばりいた。

 「はい。家宰は自ら領主を名乗り、条元に降伏。斎文に忠誠を誓ったようです」

 近臣が念を押すように再度言うと、新淳はわっと叫んだかと思うと、馬から降りて額を大地に打ち付けた。

 「殿!」

 「この世に正義はないのか!私は国慶公子のもとでこの国が仁愛に満ちた豊かな国になることを信じていたのに!こんな不正義が許されるだろうか!」

 新淳は額を地に着けながら血でも吐くかのように叫んだ。近臣がどのようにしてよいか分からずにいると、援軍部隊の長を務める将軍が見かねて声をかけた。

 「新淳殿、見っともなかろう。面を上げられよ」

 将が言うと、新淳はゆっくりと顔を上げた。額からは血が、目から涙が流れていた。

 「怒る理由も泣かれる理由も分かる。しかし、公子を慕う武人であるならば毅然と為されよ」

 「……失礼した」

 「それでどう致す?私見を言えば、今更援軍を率いていも無駄あろう。ここは一度丞相のもとに戻るのが一番かと思うが」

 この将軍としては、合井が敵の手に渡った以上、少人数での戦闘は無駄であろうと思った。合井を攻めるにしても今よりも倍以上の戦力でかからねば落とすことはできないだろう。ひとまずは撤退し、費閑の指示を仰ぐのが常識的な考え方であった。

 「馬鹿なことを!敵に領都を奪われておめおめと公子にお目通りできようか!」

 将は困惑しつつも呆れてしまった。この若者は実に単純な判断すらできなくなっているようである。こんな奴のために兵を死地に飛び込ませるわけにはいかなかった。

 「私は丞相の命令で動いている。丞相の判断なくしてこのまま戦をすることはできぬ。ひとまずこの場で陣を留め、合井陥落をお知らせして丞相の指示を仰ぐ」

 将は新淳の言葉を待たなかった。部隊に停止を命じると、費閑への使者を出した。

 合井陥落を報せる使者に接した費閑は、驚くでもなく悲嘆することもなかった。あるいはこのような結果を予測していた。

 『条元と斎文など辺境の勢力。放置しておけばいいのだ』

 費閑は最初からそのつもりであったのだ。しかし、斎国慶はどう言うだろうか。新淳と親しくしていただけに、救援に行くと言い出すでのないか。費閑がそのことを危惧しながら合井陥落を斎国慶に報せると、

 「ふん、そうか」

 と意外に冷淡であった。

 「新淳殿のことはどういたしましょう」

 「捨てておけ。少しは気骨のある男だと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。俺に相応しくない男だ」

 「では、救援部隊は引き返させます」

 ああ、と斎国慶は欠伸のような返事をした。


 費閑からの帰還命令は当然の結果といえた。救援部隊の将も帰還命令が下るだろうことを見越して準備を始めていたので、ただ安堵するばかりであった。しかし、新淳だけは違っていた。将から帰還命令を伝えられると、意味不明な言葉で絶叫した。

 「し、新淳殿!」

 「俺が何をしたというのだ!丞相だけではなく、公子までもが俺を見放したのか!あれほど公子をお慕い申し上げていたのに!」

 新淳は自らの衣服を破ると、胸を掻きむしり始めた。

 「誰か、新淳殿を止めろ!」

 将の声に反応した兵士達が新淳を取り押さえた。新淳はもがきながらも意味不明なことを叫び続け、やがてぐったりと大人しくなった。

 「お、俺はどうすればいいのだ……」

 「悪いことは申しません。捲土重来の機会もありましょう。今は丞相のもとへ……」

 「あああああああああ!」

 新淳が再び叫び始めた。喉が潰れるような絶叫であり、やがて喀血して倒れた。

 「新淳殿!」

 将が声をかけたが、新淳はまるで反応しなかった。しばらくして医師がかけつけてきたが、新淳は完全にこと切れていた。

 新淳の亡骸の処置に困った将は、合井に使者を出して事の次第を伝え、遺体だけでも引き取ってくれるように新墨に要請した。新墨はまだ合井に留まっていた条元に相談をした。

 「すでに死者であるならば丁重に弔って差し上げた方がよろいしいでしょう」

 条元の許可を得た新墨は新淳の亡骸を引き取り、丁重に弔った。しかし、墓の場所は公表されず、花を手向ける者もいなかった。

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