栄華の坂~66~
威力偵察に出た斐巍は条元軍の陣容を見てただ驚きだけであった。
「一個の邑ができているではないか!」
邑とは行政における集落の単位である。人少ない寒村も邑であり、大都市も邑と言われる。斐巍が今目にしているのは寒村の邑ではなかった。大都市とまでは言えないが、それなりに商業の発達した宿場町のようであった。
馬防柵があり、所々に兵士達が立って警備していたが、柵の向こう側には商店らしき建物が軒を連ねており、買い物をしている子連れの婦人も少なくなかった。
「これはどういうことか」
本来であるならば柵まで近づき、敵の出方を窺うのが威力偵察の役割であったが、女子供の姿を見て斐巍は怯んでしまった。武人として女子供のいる場所に攻撃を仕掛けることはできない。
「敵軍の妻子でしょうか?」
「まさか……いや、我が領の者かもしれんぞ」
斐巍配下の将兵達も異様な光景に動揺していた。事実として、条元軍が作り上げた市の中には女性子供限定で見北領の領民の出入りも許されていた。
「戦に手を貸さぬというのであれば、食糧や衣服を格安で販売するぞ。逆に余っている食糧や医薬品は高値で買い取る。ささ、怖がらずに寄ってまいれ」
ここで商人としての条元の過去が活きてきた。甲冑を脱ぎ、条元自ら商店の軒先に立って声を出した。この効果が絶大で、見北領における条元の人気をあげることになった。
「美堂藩の条元とはなんとも太っ腹なものよ」
「主人を追った悪人と思っていたが、良き君主ではないか」
庶人というものは累代の主君に忠誠を誓っているわけではない。自分達の生活を守り、富貴を約束してくれる主君こそ最良の主君であった。その点で言えば、見北領の庶人からすれば項董などより条元の方が頼りがいのある主君であった。
尤条元の狙いは領民を手懐けるだけではない。ここで市を作ることで見北領の経済を介入することも目的であった。条元の戦争とは単なる武力だけではなく、経済を支配することにもあった。
「いかがしましょう、斐巍様。攻撃しますか?」
斐巍には条元の遠大な計画など知る由もない。ただ攻撃するかどうかを逡巡する武人でしかなかった。
「あそこには我が領民がいるかもしれんのだ。攻撃なぞできようか」
それよりもこのことを殿に報告せねばなるまい、と斐巍は一度も攻撃せずに軍を撤収させることにした。
「それはどういうことだ!」
斐巍から報告を受けた項董はそう怒鳴るしかなかった。自分の領地に敵が邑を作ったなど項董にはまるで理解できないことであった。
「邑ができていたとしか言い様がございません」
斐巍も困惑するだけであった。確かに交戦状態にある敵軍が敵地で邑を作ってしまうなど前代未聞であった。
「それならば攻撃して破壊すればいいではないか?」
「そうは申されても、あの市には我が領民もいるようでして」
「敵の市に出入りする奴らなど我が領民ではないわ、殺してしまえ」
と言って項董ははっとした。家臣の中には条元軍が陣を張っている近辺に領地を拝領している者もいる。彼らからすると自らの失態を叱責されたようなものであり、同時に条元軍の市に出入りしている女子供は家族や親族かもしれないのだ。それなのに公然と殺すなどというのは明かに失言であった。
「と、ともかくも、我が領地でそんなふざけた真似を許していいものか!攻めるぞ!」
俺自ら指揮をする、と項董は言ったが、勇ましく応じる家臣は誰一人としていなかった。
「さて、こちらの存在は敵に知られてしまいました。いかがしましょう」
条元側は当然ながら斐巍の威力偵察の存在を確認していた。姿を見せるだけで撤退したことを考えると、急ぎ項董に報告しに行ったのだろう。条元には項董の動きが手に取るように分かった。
「春よ。出撃の準備だ。自分の領地に敵が邑を作って悠然としているのだ。項董としても面白くなかろう。必ず出撃して潰しに来るはずだ。そこを叩く」
条元の計画としてはここで項董を破り、一気に季陽を包囲するつもりであった。
「条元。私も出陣するのか?」
傍で兄弟のやり取りを聞いていた斎文が興奮した様子で聞いてきた。斎文は戦に出ることに自己の存在意義を見出しているかのようであった。
「勿論でございます。ここは文様の名において賊を討たねばなりません」
「うむ」
斎文は赤くして頷いた。斎文に積極性が出てきたのは良い傾向であると条元hは思っていた。




