栄華の坂~65~
項董はなんとか条元が季陽に達する前に帰還することができた。
「条元の奴、我が防備を見て恐れをなしたのでしょう」
項董を迎えた趙貝は高笑いで自己の功績を誇ったが、当の項董は多少の猜疑を趙貝に向けていた。
『条元軍の進軍速度、あまりにも遅すぎる』
項董の得た情報を分析すれば、条元軍はとっくに季陽に達していてもよかった。しかし、条元軍はまだその影も見せていない。
『ひょっとして条元は季陽を守るのが趙貝と知って遠慮したのか?』
趙貝が白竜商会から多額の借金があるのは項董も知っている。すでに白竜商会の経営から離れているとはいえ、実弟が切り盛りしている以上、多額の借財をしている債務者を簡単には殺さないだろう。あるいは借金の帳消しを条件に、季陽を無血開城する商談をしていたのかもしれない。
だからといって趙貝を排除することは今の項董にはできなかった。趙貝の戦力は領と防衛には必要不可欠であった。項董は趙貝の存在に細心の注意を払いながら、季陽防衛に備えることにした。
項董が帰還して一週間して、ようやく条元軍が姿を見せた。しかし、季陽に攻めかかろうとはせず、季陽から随分と離れた所で進軍を止め、陣を構え始めた。
「条元は一気呵成に攻めず、じっくりと包囲戦を行うつもりのようですな」
趙貝に言われるまでもなく項董もそう見ていた。条元は的確に項董軍の弱点を突いてきている。実は項董軍は美堂藩への遠征を主と考えていたので、籠城できるほどの準備を整えていなかった。防備こそなんとか整えることができたが、兵糧や予備の武具などは長期籠城するには明かに不足していた。
『何分、国内のあちこちで戦が始まりましたので兵糧の値段があがっております』
項董が新淳軍を迎撃に向かっている間、季陽の防衛準備をしていた趙貝は、準備の不足をそのように説明した。それは事実である反面、事前に条隆が見北領の食糧を高額で買い占めていたということもあった。当然ながら項董はそのようなことを知らない。
「斐巍よ、威力偵察をしてこい。それで条元の腹も知れよう」
項董はもはや趙貝をあてにはしていなかった。それどころか、もし趙貝を威力偵察に出したら、そのまま条元の陣に迎えられるのではないかとまで疑うようになっていた。
見北領の季陽を目前にして進軍を止めた条元の思惑は、項董の考えなど遥かに上回っていた。
条元軍はわずか三百名程度である。先の戦いで敗走したうえ、新淳軍とも一戦交えた項董軍あっても、数はまだ条元軍より多いだろう。それが籠城したとなれば、季陽を簡単に落とすことはできない。そこで条元が考えたのは季陽を長期にわたって包囲することであったが、その方法は古今の歴史にはないものであった。
「季陽から多少離れた場所でもいい。広く交通の便が良い場所に陣を取る。そこに市を築き、将兵達の宿舎を作るのだ」
要するに見北領内にひとつの邑を作ってしまおうというものであった。この作戦にはいくつかの狙いがあった。主な狙いは、長期対陣による兵の疲労を防ぐためと、美堂藩の財力を項董軍に見せつけ士気を削ぐことであった。そしてもうひとつ、条元軍の華々しさを見せつけることで、天下の耳目をこの籠城戦に集め、条元軍に斎文ありということを広く宣伝することであった。
「この一戦で我らのことが天下に知られれば、文様のことも天下が知ることになりましょう。そうなれば文様に味方しようというものも増えましょう」
条元は軍中にいる斎文に説明した。
「なるほど。条元の気宇の大きなことだ。しかし、敵中に邑を作るなど聞いたことがない。そのような金はどこにあるのだ?それに敵も自分達の領地に邑を作られて黙っておるまい」
斎文の疑問は貴人の思考ではなく、実に常識的であった。斎文が斎慶宮の奥で華美に身を沈めて世間知らずに育ったわけではないことは確かであった。
「金はかかります。しかし、それだけのことをしても価値のある戦であると思ってください」
条元はさらに詳しく説明した。金についての心配はほとんどしてない。美堂藩は充分に裕福であり、さらに条隆が白竜商会の力を活かして資材などを格安で調達している。さらに邑を作る作業についても条隆が采配していた。条元からこの計画を聞かされた条隆は考える間もなく、こう答えた。
「大規模のものを作らなければいいのです。簡単な建物であれば資材を集めておいて一気に作りましょう。工人達には通常の二倍の手間賃を渡せばはりきって仕事をしましょう。また市についても商人に声をかけておきます。そこの市で商売すれば税は取らぬと言えば各地から集まってきましょう」
このような段取りについては条隆は天才的であった。通常の白竜商会の仕事に加え、敵地に邑を作るという事業に熱中し、粗漏なく段取りを整えてしまった。
「条兄弟とは凄いものだ。元は上に立つ者としての器量を持ち、春は武勇に優れる。隆は商才だけではなく機略に長けている。羨ましいものだ」
斎文は手放しに褒めた。そこには羨望も交じっているのは明かであった。
「文様には将の上に立つ将としての器量をお持ちください。それは決して天性のものでなくてもいいのです。これから身に着けていけばよいのです」
「そのようなことが私にできようか?」
「できますとも。自己に謙虚で他者を尊敬する心根を持てばよいのです」
まずはここでの振る舞いです、と条元は付け足した。斎文は得心したように頷いた。




