栄華の坂~59~
新合領の領主は新淳。まだ二十歳になったばかりの若き領主で、領主の座に就いたのもつい最近のことであり、そのため領主の仕事に熱心であった。しかしその反面、若い新米領主である自分に何かと口を差し挟んでくる隣領の項董のことを多少疎ましく思っていた。余談ながら新淳は、約三百年後に条国滅亡に一役買った新莽の遠祖である。
「俺が国慶様を尊敬している。その国慶様を庇護なさっている丞相にお味方するべきだが、見北の啄木鳥はどう思っているかな」
新淳は口煩い義兄を啄木鳥と呼んでいた。勿論、心許している相手の前だけである。
「さて、どうでありましょう。項董様にはあまり政治的な定見がないように思われます。日和りに決め込み、勝てる方に味方するとでも考えておりましょう」
まだ若い新淳が心許して相談できる人物はまだ少ない。その中で新淳が最も信頼しているのは家臣ではなく、商人として出入りしている条隆であった。条隆との付き合いは新淳がまだ嫡子の頃からのものであった。
条隆という商人は十歳近く年上でありながらも若き新しい領主を見下すような視線を送ることもなければ、見え透いたおべっかを使うこともなかった。条隆の態度は領主に対する礼節を弁えつつも、時として厳しい言葉で意見を述べてきた。そのことが新淳にとっては新鮮で、条隆が家臣よりも信頼に値する人物であると思うようになっていた。
「斎国が大きく二つに割れようとしている。そんな日和見が許されるわけがない。そもそも考えてみよ、条隆。慶師を勝手に抜け出した斎烈、斎国仲とそれを擁する大将軍にいかなる正義があろうか。そうであろうよ」
「しかし、大将軍の側に付く諸侯も多いと聞いております」
「ふむ。ところでそなたの兄はどのように考えておいでかな?」
新淳が条隆を近づけているのは、何も心情的に慕っているだけではなかった。条隆を通じて美堂藩の動向をしるためでもあった。
新淳は項董同様に条元のことを天下の秩序を乱す謀反人と見ている。だが、項董のように単に謀反人と侮蔑するだけではなく、近隣の諸勢力の中では最も影響力があると見ていた。条元に同町するつもりはなかったが、少なくとも動向には注視する必要があると考えていた。
「残念ながら兄のもとにはまだどちらの使者も参っておりません。ま、兄が成したことを考えれば当然かもしれませんが……」
勿論、条隆は斎文のことは何も言わなかった。使者が来ていないのは事実であった。
「もし使者が来て、条元殿がどうするか分かればすぐに知らせて欲しい」
「それは勿論のことですが、先に啄木鳥殿が動かれましょう。啄木鳥殿も殿がどのような考えかを知ろうとするでしょう」
「ふん。普段は先輩風を吹かせてあれやこれや指図するくせに、日和った時には若造と見下している俺の意見を参考とするのか」
気に入らん、と今にでも唾を吐き出さんばかりに新淳は言った。
「殿、どうでありましょう。たかが出入りの商人である私がこのようなことを言うのは差し出がましいのですが、殿は殿として意見を固められてはいかがですか?」
「俺としてか?」
「はい。殿としての意見を明確に持ち、啄木鳥殿に言ってやるのです。自分は国慶公子を奉る丞相を支援すると。確固たる信念を持ち、この問題については殿が主導なさればよいのです」
「俺が啄木鳥を導くというのか。面白いではないか」
項董の束縛から解き放たれる。新淳にとってはこれほど痛快なことはなかった。
「分かった。啄木鳥からの使者が来れば、必ずそう言うであろう」
新淳は鼻息を荒くして宣言した。
条隆に宣言した通り、新淳は項董の使者として来た斐巍にこう申し伝えた。
『俺は国慶公子と丞相を支持する。そうではないか。大将軍にいかなる正義があろう』
斐巍は新淳が明確に言い切ったことに驚きを感じた。費閑と斎国慶を支持するだろうとは思っていたが、完全に言い切るとは思っていなかった。
『ここまではっきりと意思を示されるとは。なかなかどうして……』
今回の争いを斎国首脳部における権力闘争と見ていて深入りすべきではないとしていた斐巍からすれば考えを変えねばならなかった。
『新合領が丞相を支援するとなれば、我らもこれに倣って利を得るべきだろう』
見北領単独なら冒険に等しいが、新合領と力を合わせれば安心であろう。斐巍はそう判断した。
見北領に戻った斐巍は評定の席で早速に新淳の意向と自らの私見を述べた。
「新家の若殿は徹底して国慶公子と丞相を指示しております。我らもこれに同調すれば、いかような事態になっても対応できましょう」
優柔不断な項董も新淳が明確な方針を示せばそれに続くであろう。斐巍がそう思っていたが、項董は思いのほか浮かない顔をしていた。
「殿?いかがなされました?」
「気に入らんな。若造の分際で年長者の意見も聞かずに一方的に方針を決めるとは。これでは隣領の誼や長年の姻戚関係が無意味になってしまうではないか」
項董の思いもよらぬ言葉に斐巍は呆然とした。新淳の意見を聞いてこいと言ったのは他ならぬ項董である。新淳は自分の意見を伝えただけであり、それを気に入らぬというのはどういう料簡であろうか。
『殿は若殿がどのようにしていいか分からず右往左往して自分を頼ってきて欲しかったのだ』
そうだとすればあまりにも児戯に等しい行いである。斐巍は呆れるしかなかった。
「しかし、これは困ったことになりましたなぁ。実は斐殿が留守の間、再び大将軍からの使いが来た」
と言ってのは趙貝であった。
「そうだ。我らの出陣を要請してきたのだ」
趙貝の言葉を引き継いでいった項董の顔に迷いの色は見えなかった。これはすでに出陣することを決めている顔だと斐巍は直感した。




