栄華の坂~56~
五日後、条隆が帰ってきた。見北領に出向いていたらしく、旅装のまま姿を見せた。
「やれやれ兄上は人使いが荒いですな。慶師に行けと言われたら、見北領と新合領の様子を探れとと言い、そしてすぐに帰って来いとは」
愚痴を並べるが、条隆は実に嬉しそうであった。生来、忙しい状況にあることが堪らないほど好きな男なのである。
「すまないな、火急の用だ。どういう要件かは分かっているな?」
「道すがら黄絨に聞きました。それでご一堂がお揃いですか?」
条隆が狭い部屋を見渡した。条元の隣には条耀子が座り、この夫妻と対面するように条春と謝玄逸もいた。
「これは親父様まで。兄上のお悩みは深いようで」
条隆は謝玄逸に対して頭を下げると、その隣に座った。
「当たり前だ。隆には何か思案はあるのか?」
「悩まれる必要はありますまい。南殷様が公子の本当の腹の内は分かりませんが、折角の宝が舞い込んできたので、これを存分に活用しない手はありませんぞ」
条隆ならばそう言うであろう、と条元は思っていた。実のところ条耀子や条春もほぼ同じような考えを示していた。
「ししし、弟君の言う通りじゃ、旦那様。奴らの思惑なんてどうでもいい。我らは我らのために彼らの権威を利用すればいいのだ」
条耀子の言い様が最も過激であった。
「我らのためにか……」
「左様じゃ。我が条家と美堂藩の藩民にとって有益になるように使えばいい。向こうもそのつもりであろう」
ししし、と条耀子が笑った。本当に恐ろしいことを考える妻である。
「義父上、娘御は随分と恐ろしいことを申しておりますぞ」
条元は謝玄逸に話を向けた。この中で一番年長である謝玄逸の意見が聞きたくなった。
「婿殿……いえ、もう御屋形様と申さねばなりますまいか……」
「この場は婿殿で結構ですよ、義父上」
「されば婿殿とお呼びしましょう。婿殿はどうして先の御屋形様を追って藩主となられたのですか?」
「それはなりゆきというもので……」
謝玄逸には条元が箕政を追って美堂藩の藩主となった本当の理由を語ってはいない。
「左様でありましょうか?まぁ、理由などというものは些末なものかもしれませんな。箕政様とて理由があって藩主となっておられたわけではありませんから。ましてや、今、慶師近郊で争っている方々や後継者争いをしている公子達も崇高な理念や尤もらしい理由などないのでしょう」
しかし、と言って謝玄逸は優しい眼差しで条元を見てきた。
「結果としてはどうでしょうか。婿殿が藩主となったことで家臣や藩民は喜んでおります。また婿殿が手を貸して佐干甫殿が藩主となった近甲藩も良き政治を行っております。なった理由がどうあれ、婿殿であれば民衆にとって良き政治を行うことができる。それを美堂藩や近甲藩だけに留まらせても良いものなのでしょうか?」
謝玄逸は娘よりも大胆なことを言っている。要するに斎文を利用して天下の覇権を取れと言っているのである。
「義父上……」
「婿殿はそれだけのことをできる御方でありましょう。あとはやるかやらぬかです」
「私はそれほど善人ではありませんよ。しかし、悪人になるのなら民衆にとっての悪人ではなく天下の悪人になりたい」
条元はふと慶師で宿無しをやっていた時のことを思い出した。南大門で知り合い、無残に殺された老婆。あの老婆は女性の死体から髪を切り、生活の糧としていた。それは悪であるかもしれないが、老婆にそのような生活を敷いていた者達は悪ではないのか。条元が天下の悪人となり、あの老婆のような人間が一人でもいなくなれば、条元は進んで天下の悪人になろうと思った。
『亜好や魚然もかつては白竜に拾われた孤児だ。あの二人も良き世なら別の人生があったであろう』
条元の決意は固まった。やることのできる人間がやれることをやらないでどうするのだ、と自らを奮い立たせた。
「皆の意見は分かった。私としても異存はない。その代わり、条家は修羅の道を行くことになる。その覚悟はしておいてもらいたい」
「俺は兄上に従うまでだ」
「私もです」
条春、条隆は即答した。
「しし、私は旦那様のやることが楽しくて好きで堪らんのじゃ。これからも楽しませてくれ」
「義父上、娘後はあのようなことを仰っておりますぞ」
「ほほ。嫁に行く前はどうしたものかと思っていましたが、今となっては頼もしい限りです。私はもはや隠居の身で、娘は条家の人間。婿殿の思うように為さればよいのです」
条元は力強く頷いた。条家と斎国の未来が大きく飛躍する第一歩が踏み出された。




