栄華の坂~49~
どうやら師武を取り逃がしたらしいと報告を受けた費閑は青ざめるしかなかった。傍で同じように報告を聞いていた斎幽も言葉にならぬ呻きを漏らしていた。
「主上、今すぐにでも近衛を大将軍の屋敷に遣わし、捕らえましょう」
軍事力勝負となれば費閑に勝ち目はなかった。こうなれば時間との勝負であり、師武が戦力を整える前に捕らえねばならなかった。
「しかし……」
斎幽は迷いを見せた。斎慶宮に詰めている近衛兵は百名もいない。師武も慶師にはそれほどの兵士数を置いていないだろうが、斎慶宮を空にして逆襲されれば命の危機になるのはこちらの方であった。費閑はそれを承知で非常の決断を斎幽に迫った。
「何の騒ぎかと思えば、丞相がいらぬことをしたとみえる」
費閑の背後から声が響いた。振り向くと斎国慶の姿があった。
「いらぬこととは……これは手厳しい」
「命を狙われたとなれば、大将軍も抵抗いたしましょう。大将軍の振り上げた拳を下ろさせるためにも慰撫する使者を送りましょう」
私が引き受けましょう、と斎国慶は言った。本当にまだ二十歳にもなっていない少年かと思うほど堂々たる態度であった。
「しかし、それでは大将軍は私の責任を問うでありましょう」
師武を慰撫するとなれば、当然ながら師武は費閑を非難してくるだろう。そうなれば立場が悪くなるのは費閑であった。
「ふん。丞相には丞相の言い分があるということか。それならばひとつだけ双方が納得して騒ぎを治める方法がある」
「ほう、どのような方法か?」
斎幽が興味を示したので、斎国慶は上座に向かって一礼して話を続けた。
「大将軍を慶師から逃がすのです。大将軍としても主上には手向かいしたくないでしょうから、この提案を飲みましょう」
「それでは大将軍が自らの領地に拠って烈様を立てて反抗するかもしれませんぞ」
「その時こそ堂々と大将軍の非を鳴らし、討伐すればいいのです。お許しいただけるのであれば、私が討伐軍の将軍を務めましょう」
費閑の反論を斎国慶は力強く封じた。費閑は黙りつつも、斎国慶の聡明さと威厳に感服した。やはりこの公子についていくべきだろう。素直に斎国慶の意見に従うことにした。
「よかろう。国慶、お前が使者として師武を慰撫しつつ、慶師から逃がしてやれ」
「はっ!」
斎幽が承諾したことにより、斎国慶の意見が採用されることになった。
してやったりだ。師武の屋敷へと向かい最中、斎国慶は兵車の上でほくそ笑んだ。事態はほぼ斎国慶の筋書き通りに進んでいる。自分が丞相である費閑に接近すれば必ず師武と仲違いをする。そこから斎国を巻き込んだ戦乱となれば、まさに斎国慶の望んだ状況となった。
斎国慶は戦争を望んでいる。それも小競り合い程度の戦争ではなく、大乱を望んでいた。その大乱に乗じ、将軍として戦果をあげて衆望を得れば、自分が嫡子になれると斎国慶は考えていた。
斎国慶は父である斎幽から愛されていることを自覚している。だからいずれ斎文が廃嫡され、自分が嫡子になると信じて疑わなかった。しかし、斎幽はどういうわけか嫡子については頑なで、斎文を廃嫡する素振りをまるで見せなかった。この状況を打破するとすれば、斎文を殺害するか、誰しもが斎国慶こそ嫡子に相応しいと思わせるしかなかった。斎国慶は後者を選んだ。
『俺こそが斎国の国主に相応しいのだ。それを見せつけてやるのだ』
斎国慶は自身の才能への自惚れがあった。他の公子の誰よりも強く賢いと思っていた。当然、周りもそう見ていることも知っており、どうして自分が嫡子になれぬのか不思議に思っているほどであった。
『まぁ、いい。これで戦乱となれば、無能な兄上は宮城で震えているだけだ』
その間に自分は戦場で赫奕たる戦果をあげている。頑なな斎幽も斎国慶を嫡子に認めざるを得なくなるだろう。いや、斎国中の人間が斎国慶が嫡子に相応しいと大合唱をあげるだろう。
『今日は未来の斎公への偉大な第一歩だ』
兵車が師武の屋敷前に着いた。門前には師武の兵と先行していた近衛兵が睨み合っていた。
「ここは慶師の天下の往来ぞ。同じ斎国の武人が睨み合ってどうする!」
斎国慶は兵車の上から怒鳴った。睨み合っている者達は相手が斎国慶であるとすぐに分かり気まずそうに剣の切っ先を下に向けた。
「よろしい。大将軍と二人きりで会いたい。取り次いでくれ」
斎国慶に言われれば、彼らは素直に従うしかなかった。師武の家臣の一人が屋敷の中に入っていった。しばらくして戻ってくると、丁重な態度で斎国慶を屋敷の中に案内する旨を伝えた。
「公子、それは危険すぎます。大将軍を外に呼び出し、庭で会見をなさった方が……」
供と連れてきた兵士が耳打ちをした。
「構わぬ。もし俺の身に万が一のことがあれば、大将軍のくせに卑劣な奴よと慶師の童に教えてやれ」
斎国慶は胸を張って笑い、師武の屋敷の中に入っていった。




