栄華の坂~48~
師武達の一連の動きは丞相である費閑に筒抜けになっていた。師武が斎幽に呼び出されことと、斎烈と斎国仲が密かに慶師を出たことを関連付けて考えた時、ひとつの憶測が費閑の脳裏に浮かんだ。
『よもや大将軍は斎烈を擁して挙兵するつもりではないのか?』
ということであった。後継者争いについて斎烈は斎国慶に対して劣勢である。それを擁してる師武が逆転を狙おうと思うと、武力で一気に覆すしかなかった。
『このままではまずい』
費閑は流石に焦った。丞相として絶大な権力を握っている費閑であるが、直接的な軍事力を掌中にしているのは師武である。一度師武が牙を剥けば、費閑としては抗う術がなかった。
しかし、同時に悪魔的な策謀も思いついた。師武が謀反を起こすつもりであるならば、先んじて斎幽に会って師武が謀反を起こそうとしていると報告すればいい。それで斎慶宮にやってきた師武を斎幽の命令として捕らえ、殺してしまえばいい。そうなれば費閑にとっての邪魔者は消える。
「幸いにして師武が斎慶宮に来るのは明日だ。今のうちに主上にご報告しよう」
費閑は夜中ながらも斎慶宮に行き、斎幽に謁することにした。このようなことができるのも丞相としての強みであった。
深夜ながらも斎幽は費閑の謁見に応じた。斎幽という主君は妙なところで生真面目ところあり、この時も嫌な顔ひとつせず費閑を寝室に通した。
「お休みのところ、まことに申し訳ございません」
「丞相が夜中に駆けつけるのだ、余程のことであろう。申してみよ」
「さすれば……。実は大将軍が烈様を擁して謀反を起こそうとしております」
流石に斎幽は顔色を変えた。斎幽も最近の嫡子をめぐる各人の動きについて知っているのだろう。それだけにあり得ぬことはでないと思ったに違いない。
「大将軍が烈を庇護しているのは知っておる。しかし、謀反などとは……」
「実は烈様と国仲様がすでに慶師より脱して大将軍の領地へと向かっております。私の言がご不審であるならば、各公子の屋敷をお調べください。しかし、お調べしている間にも大将軍の悪事が止められぬ方向に進んでまいります」
斎幽の顔色がみるみるうちに青ざめていくのが目に見えて分かった。そもそも斎幽は師武よりも費閑に親しみを感じている。費閑が言うのであれば嘘であるまいと信じてしまった。
「どうすればよい?」
「明日、大将軍が参内する時に捕らえてしまいましょう。宮の内に入れば大将軍を供の兵士から切り離すことができます。その上で近衛を潜ませ、勅命として大将軍の地位をはく奪するのです。そうなれば大人しく縛につくしかありません」
費閑には師武に対する見くびりがあった。武人である師武に費閑の素早い動きと策謀に気づかぬだろうと高を括っていた。
「分かった。勅諚は早朝に出そう」
明日は朝議がない。師武が参内する予定は昼前である。十分に時間があった。
「それでよろしいかと思います。近衛兵長にもご下命を忘れずにお願い申し上げます」
「勿論のことだ」
斎幽は大きく欠伸をして費閑を下がらせた。費閑は一抹の不安を抱きながら、自らにも睡魔が襲ってきたので大人しく屋敷に戻ることにした。
翌日の昼前、師武の姿は斎慶宮にあった。南門の前で馬車を降りると、従者として付いてきた兵士を門前で待たせ、宮廷内に入った。大将軍となれば朝議に参加できるので、一週間に一回は訪れる斎慶宮であるが、今日の斎慶宮はいつもの雰囲気と違っていた。
「なんだ、この張詰めた空気は……」
南門から斎公の居住地である東宮へは東回廊を行く。政務を行う西宮へと続く西回路と違って人通りは少ない。それでもいつもは寺人や女官が一人や二人はいるものだが、今日に限って師武の視野の中には案内役の宦官以外に誰もいなかった。
『これは何かあるぞ』
師武は武人である。政治的な策謀に無警戒であっても、戦場で感じるような危機的な空気感には敏感であった。
「う、う……ん」
師武は腹を押さえ、その場に蹲った。
「いかがなされました?」
案内役の宦官が声をかけてきた。
「障りだ。ここのところ腹具合がどうも」
師武は宦官の表情が強張るのを見逃さなかった。やはりこの先に何かあるのだろう。
「大丈夫ですか?」
「少しはばかりに行きたい。いや、勝手知ったる場所だ。案内は無用」
師武はよろよろと立ち上がると、便所のある方向に歩き出した。宦官としても相手が大将軍である以上、無理に行動を制することができなかった。あるいは便所に行ったところで逃げ場などなかろうと思ったのだろう。
便所へと駆け込んだ師武は、肥が少ない便器を見つけると躊躇うことなくそこに潜り込んだ。師武はかねてより異変があった時のことを考えて、斎慶宮からの脱出路を複数見つけていた。便所もそのひとつであり、斎慶宮の便所は大きいので人一人入ることができる。汚物の中を潜っていけば、外の汲み取り口まで辿り着けることができた。
「まさかこんな脱出路が役に立つとは……」
無事に肥の汲み取り口から出た師武は、異臭に嗚咽しながらも、何とか斎慶宮から脱出することができた。そのまま屋敷に戻ると、驚く家臣達に戦闘準備を命じ、自らは風呂場へと直行した。




