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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
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黄昏の泉~57~

 樹弘は桃厘から甲元亀達を呼び寄せ、今後は貴輝を拠点とすることにした。貴輝とその一帯を実質上支配したことで、泉国の約三分の一を得ることができた。

 「しばらくは貴輝に腰をすえて内政の充実させましょう。その一方で周辺の小さな小城を攻略していけば、相房陣営の民衆もこちらに駆け込んでくるでしょう」

 甲朱関は朝議において今度の方針についてそう説明をした。樹弘には異存はないらしく、ではそのように、と短く答えた。その様子を見ていて景朱麗は、樹弘に目立った変化が見られないのでひとまず安堵していた。

 「これでひとまず落ち着いたとなれば、静国の吉野にある景秀の遺体を引き取ろうと思うが、どうだろうか?」

 議題がひと段落すると、樹弘が切り出した。誰しもがあっと思ったのは言うまでもない。樹弘を除けば、景秀の亡骸についての扱いなど考えてもいなかった。景朱麗ですら、泉春を占拠してからのことだと考えていた。

 「少しでも早く景秀には泉国の地を踏んで欲しいんだ」

 「左様でございますな。景秀様のご遺体について思慮しておりませんでした。お恥ずかしい限りです。よろしいかと思います」

 代表するように甲元亀が言った。他の延臣達も異存はなかった。

 「では、蒼葉。手数ではあるが、静国へ行ってくれるか」

 「承知しました、主上」

 これで朝議が終了、と一同が立ち上がった時、外に控えていた官吏の一人が景朱麗に歩み寄り、何事がささやいた。一瞬険しく眉をしかめた景朱麗は樹弘を呼び止めた。

 「主上。少しお話が……」

 樹弘は不思議そうに足を止めた。他の者達も退出するのを止めて、景朱麗が語るのを待った。

 「蘆明と名乗る男が主上にお会いしたいと来ているようですが……」

 景朱麗の声色に多少の嫌悪が混じっているのは無理なかった。傭兵としての雇い主であった厳陶を斬り、その荷を盗んだのである。それだけではなく軽率にも偽の公子淡に仕えたことも、景朱麗をはじめとした泉公の旧臣達を不快にさせていた。

 「蘆明が……」

 樹弘としては複雑であった。勿論彼がやったことは許しがたいが、同時に懐かしみも感じでいた。

 「会おう」

 樹弘は躊躇うことなく言った。

 「主上。お言葉を返すようで恐縮ですが、蘆明は厳陶を殺害し、その荷を奪った罪人です。主上がお会いになる必要はないかと思われますが」

 景朱麗は不興を買うことを承知で苦言を呈した。

 「朱麗さんの言いたいことは分かる。でも、蘆明が己の行いを悔い、罪を償いたいのであれば、それを導くのが国主たる僕の務めだ」

 樹弘は毅然と言い返した。景朱麗は言葉がなかった。ただ無言で頷き、蘆明を連れてくるように命じた。

 樹弘の前に現れた蘆明は、樹弘の知る面影がまるでなかった。着ている物を薄汚れてみすぼらしく、顔はやつれ疲れきっていた。樹弘の前で平伏している姿も小さく、見ているのも辛くなってくるほどであった。

 「あなた様が主上とは知らず、行いました数々の無礼。深く謝してもきりがございません。元来なら万死に値することではありますが、こうして恥を忍んで参りましたのは主上にお仕えし、祖国のために尽くしたいからです」

 樹弘は蘆明と対面しても懐かしむでもなく、表情をまるで変えずにいた。その様子を見ていた景朱麗は違和感を覚えた。

 『主上は変わられた……』

 臣下への優しさであったり気遣いであったりは変わっていない。また己への慎みも、自己肥大したところがなく、むしろ謙虚さが増したほうであった。ただ、喜怒哀楽をあまり表に出すことがなくなったのと、他者に対して毅然とした振る舞いをするようになっていた。

 『蓮子の死がそうさせたのか……』

 景朱麗はそう思うと、嫉妬にも似た感情を得て、ちくりと胸が痛んだ。

 「蘆明。あなたに罪があるとするならば、僕に対する罪ではなく、厳陶と厳侑にあるのではないか」

 樹弘にそう言われ、蘆明はますます体を小さくし、嗚咽を漏らした。蘆明になりに厳陶を殺害したことを悔いているのだろう。

 「もし、あなたが僕達の陣営に加わりたければ、二つのことを行うことだ。まずひとつは厳陶の墓前で謝すること。そしてもうひとつは泉春にいる厳侑にも謝すこと。この二つを終えた後、再び貴輝に戻ってくるといい」

 樹弘の言葉にはやはり優しさに満ちていた。すぐには臣下にせずに、先に直接的な被害者に謝罪させる。そうすれば蘆明のことを快く思っていない者達も納得せざるを得ないだろう。

 「ははっ!必ずや主上の言いつけを守り、今後は主上のために命を惜しまず働く所存です」

 樹弘は満足そうに頷くと、蘆明に幾ばくかの路銀を与えるように命令した。その姿と言動は、すでに民衆の主たるに相応しいものであった。


 その後、樹弘は甲朱関の進言どおりに軍事と政治を進めていった。軍事については文可達を将軍とする一軍を派遣し、貴輝周辺の小邑を攻め落としていった。

 政治については、まずは静国から景秀の遺体を送致し、ささやかながら廟を作り丁重に埋葬した。このことは泉国の旧臣だけではなく、民衆をも感激させた。

 さらに民衆に対して租税の軽減や法律の簡略化などを行い、民衆に対して考えられる限りの善政を実施した。その結果は甲朱関の思惑通り、相房の支配下にいた民衆達が続々と樹弘のもとにやってきたのであった。

 「順調ですが、ここで急いてはいけません。幸いにして相房軍はしばらくの間は大規模な反攻はしてくる様子はありません。二三年はゆっくりと時間をかけて力を蓄えて参りましょう」

 甲朱関はそのように言うが、もとより樹弘は急ぐつもりはなかった。戦をすることによって国力と人心が疲弊するのを嫌う樹弘としては、このまま腰をすえて相房側の疲弊を待つ方が性に合っていた。

 だが、時代はまたしても樹弘の思惑をはずれ、加速をつけて変化しようとしていた。

 

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