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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
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栄華の坂~37~

 「ししし、家宰殿から見舞いの使者が来たぞ」

 大人しく寝台に寝ている条元に条耀子が告げた。夫が負傷しているにも関わらず、条耀子は実に楽しそうだった。

 「使者に会うのならもっと悲しそうにするんだな。いくら盆暗の丁徴でも怪しむぞ」

 「おお、そうじゃな。私、旦那様が怪我をされて悲しいですわ。旦那様もせいぜい痛がって苦しそうにしてくださいですわ」

 条耀子は急に真顔になって言った。条元は苦笑して自身も深刻そうな面持ちを作り上げた。

 条元が暴漢に襲われたというのは自演であった。暴漢にすら出遭っておらず、腕の傷も自分でつけたものであった。当然、条元に猜疑を向け始めている丁徴を煽るためであった。

 丁徴からの使者を私室まで案内したのは条耀子。悲しそうに目を伏せている様子は普段の彼女から想像もできないしおらしさであった。

 「おお、条元殿。ご無事のようですな」

 「畏れ入ります。家宰殿のご使者の前でこんな姿を晒し、恥ずかしい次第です」

 身代から身を起こした条元はわざとらしく怪我をした右腕を見せた。右腕全体を覆い隠す包帯には血が滲んでいた。

 「条元殿は武芸に秀でていたはずだが、これはやられましたなぁ」

 「それもお恥ずかしい限りです。久々にかつての同胞である商人達と会って気を許し、したたかに飲んでしたたかに酔ってしまいました」

 「それで下手人の顔はご覧になられましたか?」

 きた、と条元は思った。丁徴が最も気にしているのはそのことであろう。

 「月明かりも乏しい夜道故、顔はまるで分かりませんでした。しかし、相当の手練れであることから賊徒の類ではありますまい」

 ほほう、と声を漏らした使者の顔に緊張が走った。やはり丁徴は、条元を襲った暴漢が反条元を掲げる過激な家臣達だと考えているのだろう。

 「治安のよい我が藩のことです。いずれ下手人も判明しましょう。怪我も直に癒えましょうから家宰殿にはよしなにお伝えください」

 「さ、左様か」

 使者の顔がさらなる緊張で強張っていった。この男は条元によって美堂藩の警察機構が強化されているのを知っている。当然ながら条元の息がかかった者が多くいるということも知っているのだろう。

 「旦那様。丁徴様から見舞いの品を多くいただきました。使者様をこのままお返しするわけには参りませんので、一献差し上げようと思うのですが……」

 「おお、それはいい。私は生憎このような状況であるから相手ができませぬ。我が弟、春に相手させましょう」

 「いや、ご配慮無用でございます。条元殿がご健勝なら何よりです。早速、我が主にお伝えします」

 使者は慌てるようにして辞去していった。条元と条耀子は目を合わせてほくそ笑んだ。


 「条元殿が主を疑っている様子はありませんが、警察機構は条元殿が握っております。気を付けられた方がよろしいかと存じます」

 条元宅から帰ってきた家臣が丁徴に報告した。丁徴は平静を装って聞いていたが、内心では自らが行けばよかったと後悔していた。自身の目で条元の様子を見ぬ限りは、本当に条元が自分のことを疑っていないかどうか判断をくだせなかった。

 『それに私が行った方が条元の心象も良かったのではないか』

 それほどに丁徴は条元を恐れていた。条元が本気になれば自分のことを美堂藩から追い出すことも可能かもしれない。条元にはそれほどの才覚があり、美堂藩においての実力も兼ね備えていた。

 だが、丁条元に抵抗できる力があることを丁徴は知っている。箕政である。藩主である箕政だけが唯一、条元を制御あるいは排斥することができる存在であった。ただ懸念があるとするならば、箕政は条元のことを強く信頼し、その才幹を愛していることであった。下手に条元のことを悪く言えば、逆に丁徴が讒言していると思われるかもしれなかった。

 『御屋形様が堂上におられないのがつくづく悔やまれる』

 箕政が堂上にいないことすらも条元の策略であることなど丁徴は気が付いていなかった。そして条元がすでに箕政の存在など恐れていないことも丁徴が知っているはずもなかった。

 ともかくも今は条元を刺激せぬことだ。丁徴のこの判断が後手を踏むこととなった。


 条元からすれば丁徴はあまりにも呑気であった。多少なりとも藩の政治に携わり、自らの才幹や努力によって地位を向上させてきた者ならば、商人から成り上がってきた条元の対して警戒心を抱き、そのための行動をしたであろう。しかし、生まれながらにして現在の地位を約束されてきた丁徴のような人間には、条元のような策謀家のことなど理解できないであろうし、これを対処する術も知らなかった。謂わば条元が書き上げた脚本を知らぬうちに演じさせられているだけであった。

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