栄華の坂~36~
箕政が堂上からいなくなると条元は本性を顕にした。これまで有力家臣の一人として尊重していた家宰の丁徴を無視して美堂藩の政治を行うようになっていった。丁徴は最初の頃はまめまめしく働いてくれる条元のことを好ましく思い、させるがままにしていたのだが、次第に危機感を抱くようになっていった。
『今の美堂藩を動かしているのは条元様だ』
という声が家中に広がり、民衆だけではなく下級家臣の中にもそのように言って条元を慕う者も出始めていた。
「まずいことになっているのではないか?条元は美堂藩を我が物にしようとしている」
丁徴は自らが抱く不安を同輩の藤可に打ち明けた。元来小心者である丁徴は、箕家の家宰として条元の専横に対して単独で立ち向かうだけの勇気を持ち合わせていなかった。
「そのようなものかね?」
藤可は分からぬというような顔をした。
「条元が行ってくれている政治におかげで藩の財政は潤っておる。そのおかげで我らの収入も増えているではないか。もし条元が私腹を肥やしているのなら、家宰殿のご懸念も分かるが、そのようなそぶりもない。私心なく働いてくれている同輩を非難するのはよろしくなかろう」
「そうではあるが……」
藤可の言うとおり、条元が美堂藩の実権を握ることで私腹を肥やしているのであれば、丁徴としても糾弾できる。しかし、条元は私腹を肥やすどころか、私財を投じて河川や街道の整備など公共事業を行っている。非を鳴らすことができなかった。
「家宰殿の思い過ごしであろうよ」
「だが、考えてもみよ。条元が御屋形様に近づいてからだぞ。明成が討たれのも、原望共が殺されたのも。しかもその影に条元がいたことはお前も知っておろう」
「そのように言っては条元に悪いであろう。あの二人が亡くなったからこそ今の我らがある。それに我らもあの事件を奇貨として積極的に動いたではないか」
丁徴は言葉が出なかった。明成を討つと先兵として原望共を祭り上げ、油断したところで原望共自身をも討つ。そのような謀略を条元から聞かされた時、怪しむことなく賛同したのは他ならぬ丁徴であった。
藤可に諭され、丁徴はひとまず納得したように条元のことを話すのをやめた。しかし、心の奥底には何かくずぶるようなものがあり、自分の地位が脅かされるという不安が消えることはなかった。
箕家に仕える家臣はおよそ五十人ほどいる。謝家や丁家など有力な家柄を除き、下級家臣といわれ経済的に決して豊かではなかった。彼らの多くは自分達の暮らしぶりを向上させてくれる条元のことを好ましく思っているのだが、中には条元のことを美堂藩の秩序を乱そうとしていると見ている者も少なくなかった。彼らの熱を帯びた言葉は自然と丁徴のもとに集まってくる。ついには実際に丁徴のもとを訪れて、唾を飛ばして条元を排除すべしと叫ぶ者も現れ始めた。
「条元は御屋形様が家臣とされたのだ。それを私だけの考えで排斥することはできない」
丁徴は穏やかに彼らを諭した。しかし、熱を帯びた反条元の家臣達は容易に引き下がらなかった。
「家宰殿は甘い。このままでは美堂藩が条元に乗っ取られます。排斥するなら今しかありません!」
丁徴からすればわざわざ屋敷まで来られるのは甚だ迷惑であった。このことが条元の耳に入れば条元に疑いの目を向けられてしまう。保身のためにも美堂藩のためにもそれは好ましくなかった。
「お前達の気持ちは分からないでもない。しかし、御屋形様不在の時に家臣同士が争ってどうする。お家のことを考えるのなら自重せよ」
丁徴は穏便に諭したつもりであったが、彼らは明らかな不満顔で辞去していった。
丁徴と条元は不仲である。そのような情報は美堂藩では常識となっていた。これに対して条元は、
「所詮は噂。我が家中を断絶させようとしている何者かの流言だ」
として取り合わなかった。しかし、事件が起きてしまった。条元が暴漢に襲われて負傷したのである。
条元に不満持つ家臣達が丁徴の屋敷を訪れた翌々日の夜のことであった。美堂藩に拠点を構える商人達との懇親会に参加した条元は、どういうわけかその日は護衛として連れていた条春を先に帰していた。多少の酔いがあった条元は、酔いを醒ますように夜風にあたりながら一人で帰路についていると、四人組の暴漢が突如襲ってきたのである。武芸の心がある条元であったが、まともに戦うのは不利とみて逃げ出した。その際、右腕を斬られてしまったのである。
その情報を知った丁徴は気が気でなかった。下手人は条元に不満を持つ者達ではないのだろうか。もしそうであるならば、彼らが捕まった時、丁徴にもあらぬ疑いをかけられてしまう。
「条元に見舞いの品を送ろう。とても心配していたと伝えるんだ」
今になって彼らを屋敷に入れたことを後悔した丁徴は、まるで条元の機嫌を窺うように見舞いの使者を出すことにした。




