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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
54/957

黄昏の泉~54~

 我ながら救いのない女だ、と相蓮子は樹弘が去った後、そのように自分のことを分析していた。

 泉国の真主であった樹弘に降伏する。しかも樹弘自身が降伏を勧告してきた。表情にこそ出さなかったが、実は相蓮子は非常に心動かされていた。樹弘が真主であるということもあるが、なによりも彼の人柄に惹かれたということもあった。樹弘を主として仰ぎ、父や兄に対して反抗する。それこそ酔狂の極みというものであり、想像しただけでも身震いするほどであった。だが、相家の人間であるということが相蓮子を縛り、強がりを言わせて誘惑を断ち切らせた。

 『所詮、私も相家の人間ということだ』

 自らの生い立ちを思えば、相家の血筋から離れられぬのは当然であった。

 相蓮子は相房の第三子、長女として生まれた。幼少の頃から利発であり、物怖じしない度胸があった。その人物としての才覚の差は上二人の兄達よりも明らかに優れていたことは誰しもが認めるところであった。

 『男であったなら、間違いなく相家の跡取りは蓮子であっただろうに』

 これは相房に限らず、相淵もしばしば口にし、相蓮子自体も何度も聞かされてきていた。実際に相蓮子自身も相思わないでもなかった。陰湿で横柄な長兄相史博、惰弱で知性の乏しい次兄相季瑞。自分よりもあらゆる面で権勢家の当主としては劣った兄達であった。

 だが、相蓮子は女であった。女が当主になれない道理はないのであるが、二人の兄は、権勢家の当主としては劣っていても、年次の序列と男系を崩してまで相蓮子を当主にするほど人間として格別に劣っているわけではなかった。

 それに相蓮子は女であってよかったと思っていた。女であったからこそ、跡取りとなる資格がないからこそ、今の相蓮子があるのだと思っていた。気ままだからこそ自分らしさを発揮してこれたわけなのである。だから相蓮子は請われても当主になるつもりはなかった。ましてや国主などは論外である。

 しかしながら一方では、あの愚鈍な兄達に仕えねばならないと考えると虫唾が走った。それならば自らが国主となったほうがましではないかと両者を天秤にかけることもしばしばあった。だから樹弘に降伏することに魅力を感じたのもそのためである。

 それでも相蓮子が樹弘と戦う道を選んだのは、今の自分があるのは女である気ままさ以上に相家の人間であるからだと自覚しているためであった。父や兄達のことはどうでもいい。相家の娘、相蓮子であるからこそついてきてくれた者達に対し一戦もせずに降伏したとなると合わす顔もなかった。

 『相蓮子であることは捨てられないか……。家というのは煩わしものだ』

 相蓮子と生き、相蓮子として死ぬ。尤も樹弘との戦で自分が負けるとは思っていないが、勝ったとしても後味の悪いこととなるだろう。

 相蓮子は机に座り、紙と筆を引き寄せた。弟の相宗如に手紙を書こうとふと思い立ったのだ。相蓮子は肉親の中で唯一、弟の相宗如には気を許していた。異母弟であったが、物静かで何かと慕ってくる弟には兄達以上に肉親の情を抱いていた。

 筆を握ってみると、さて何を書こうかと悩んだ。別に遺書を認めるつもりではない。だからと言って近況を報告しようにも、この手紙が相宗如の下に届く頃には、相蓮子が勝つにしろ負けるにしろ大きく事態が変転しているだろう。

 『宗如には私のような複雑な生き方をして欲しくないな』

 相蓮子はその思いを率直に手紙にした。


 翌日、相蓮子は五千の軍勢を率いて貴輝を出た。これには樹弘陣営は驚かされた。冷静に考えれば貴輝で篭城するほうが得策であるのだが、相蓮子はその有利を自ら捨てたことになる。

 「相蓮子に何か作戦があるのでしょうか?」

 甲朱関も戸惑い気味であった。戦理に詳しい彼からすれば、自ら有利を捨てる相蓮子の行動が理解できないのだろう。だが、樹弘には相蓮子の意図するところが理解できた。

 『蓮子さんは勝負に出たんだ』

 貴輝で篭城しても泉春からの援軍が期待できない以上、相蓮子は一か八か野での一戦に活路を見出したのだ。そしてその一戦で勝てばよし。負ければ負けたで死ねばいいだけと考えているのだろう。相蓮子とはそういう女性なのである。

 「躊躇うことはない。敵が決戦を挑んできたのなら、受けてたてばいい」

 それだけのことだ、と樹弘は立ち上がった。周囲の者達は再び驚かされた。ついこの間まで相蓮子との戦いを避けようとしていた人物とは思えなかった。

 「朱関。会敵はいつぐらいになる?」

 「おそらくは明日の昼頃かと」

 「軍師として必勝の策を練れ。なんとしても勝たねばならん」

 樹弘は甲朱関を見た。その視線の厳しさと鋭さは、その場にいた者が語り草にするほど異様であった。

 「勿論であります。主上」

 甲朱関は一筋の汗を流しながらしっかりと頷いた。

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