栄華の坂~17~
美堂藩藩主箕政は凡庸な藩主であった。凡庸な君主とはどういうものかと説明する時に、箕政の日常と生い立ちを見よと言えば十分であるほど、絵に描いたような凡庸さであった。
箕政自身も自分が凡庸であることを認めていた。君主として凡庸であることが決して罪ではないと信じていたし、箕家の美堂藩藩主としての命脈が保たれればそれでいいと思っていた。
『箕家の当主とはそういうものだ』
他人が箕政の凡庸さ笑えば、箕政はすぐにそう反論しただろう。代々の箕家の当主が藩の外に野心を求めず、只管波風のない生涯を送ってきており、そうあるべきだという風習が箕家の家風になっていたと言っても差し支えなかった。
しかしここ数年、箕政の凡庸であるべきという信念に揺らぎが生まれていた。明確な理由があった。
今から三年ほど前の、箕政が斎公の五十歳を祝う式典に呼ばれたことがあった。それまで斎公よりこの手の招待を受けたこともなければ、慶師に上るのも初めてであった箕政は、大喜びで斎慶宮を訪れた。小さいとはいえ藩主である。斎公から直々にお声がかりがあり、式典の席次も上位であろうと思っていた。しかし、箕政に与えられたのは末席であり、お声がかりどころかろくに斎公の竜顔を拝することもできなかった。挙句には隣に座った領主に、
「はてさて、美堂藩とはどちらにあるのでしょうか?」
と言われる始末であった。小さな藩の凡庸な藩主であっても、自藩に戻れば藩主様と崇められ、慕われる。それが慶師ではまるで存在感がないのである。箕政の自尊心が傷ついたのは言うまでもなかった。
「閣僚にでもなれば、このようなことを経験しなくても済んだであろうに」
慶師から帰った箕政は家宰である謝玄逸に愚痴をこぼした。
「それは無理でありましょう。藩主は閣僚や丞相にはなれぬものです」
謝玄逸は当然のことを言った。箕政も十分に承知していたので、黙るしかなかった。
藩という斎国独特の制度については幾度か触れた。藩とは斎国内にできた一種の独立国のようなものであり、藩主が法令の制定や租税を自由にすることができた。ただひとつ斎公の命令に従いことだけが課せられていた。しかし、斎慶宮において丞相や閣僚になれることはなかった。
それに対して領というものは、建前上は斎公の領地を臣下に下賜された土地のことをいう。そのため領主には法令制定や租税については制限が発生する。但し、藩主と違い、斎国の政治に携わる地位にはなることができた。それが斎国の国是であった。
「しかし、軽んじられるのは面白くない。そうであろう?美堂藩とはどこにあるのかなどと失礼ではないか?」
箕政にそうであろうと言われれば、謝玄逸も頷かずにはいられなかった。この主従の間ではいつしか美堂藩の地位向上を夢想するようになっていた。そのため条元がもたらした話は、この主従にとっては非常に魅力的であった。
条元が謝玄逸に語った話と言うのは、斎公が離宮を建設しようとしているというものであった。
「ほう、離宮とな?」
「はい。条元が申すには璧湖の畔に璧の柱を使った離宮を作りたいということのようです」
璧湖とは美堂藩より北に向かった先にある湖である。湖底が浅く、生息している藻が薄緑になることから季節によっては上質の璧のような湖面になることで有名で、その一体は斎公の私有地となっていた。
「璧湖の傍に璧の離宮か。主上はなんと雅なものよ」
「しかし、その計画は頓挫しているようです」
私的にしろ公的にしろ斎国におけるこのような事業は、斎公から藩主に下命があり、藩主が私財をもって行うことになっていた。藩が斎国から制限を受けない見返りのようなものであった。
「さもあらん。徳政が出る世だ」
下命を受けた藩主は拒否することができない。拒否しようものなら、軍を差し向けられて、藩地召し上げ、お家断絶という事態にもなりかねなかった。しかし、徳政令が発布されるご時世である。徳政令を出さずとも済んだ近甲藩や美堂藩などは稀な例であり、多くの藩が斎国にならって徳政令を出しているほどである。下命を受けた藩主達は、
「時勢がらとてもそのような財を出すことができません」
と率直な言葉で断りを入れた。斎公としても事情が事情だけに無理を強いることもできなかった。もし、けしからんとばかりに軍を起こせば、窮鼠となった藩主達が謀反を起こす可能性もあった。いや、そもそも今の斎公に征旅の軍を起こすほどの財があるかどうかも怪しかった。
「せめて璧の柱ひとつでも献上すれば、主上の覚えもめでたくなるかもしれんな。璧の柱とはどのぐらいするのだろうか」
「条元によりますと五千万銀はするかと……」
「五千万銀!」
箕政は腰を抜かしそうになった。白竜商会に十万銀の借金をしているような箕家にそのような資金があるはずもなかった。美堂藩の公金であっても捻出できない金額である。
「なんとかならんものかなぁ」
「資金もそうですが、仮に資金があったとしても、美堂藩に下命があるとは限りません」
「そうであるが、他の藩がこぞって手をこまねいている今こそ美堂藩の名を高める好機であるとは思わんか?」
「左様ですが……」
「条元に相談せい。商人ならば良い知恵も浮かぶのではないか?」
箕政は自分での思考を放棄した。箕政という男は万事この調子であった。




