栄華の坂~16~
条元は近甲藩を去って半年ほどが過ぎた。美堂藩に拠点を構えた条元は白竜商会の名前を引き継ぎ、順調に商売を続けていた。幸いにして近甲藩から追っ手は来ず、用心のためにあれ以来、近甲藩には近寄っていないが、指名手配をされた様子もなかった。
『商会を大きくして、いずれ亜好や魚然の敵を討ってみせる』
条元が白竜商会として商売を続けた理由はまさにそこにあった。佐谷明と道昇への復讐は果たさねばならない。
『何をするにしろ、金と力が必要だ』
後に乱世の梟雄となり、悪辣さをもって国を簒奪するに至る条元の腹の中に黒々とした情念が生まれたのはまさにこの時であった。
条元は単に佐谷明と道昇の命を奪うつもりはなかった。財力と地位、すべてを奪ってやるつもりでいた。それには一介の商人をやっているだけでは無理である。近甲藩という大きな存在に匹敵する組織をもってして成さねばならない。条元はそれを美堂藩にやらせようと考えていた。
そのためには条元が美堂藩の中に食い込んでいかねばならず、白竜商会の商売を誰かに任せねばならなくなる。条元はその任せられる人物として故郷である栄倉から弟達を呼び寄せていた。余談ながら母も一緒に呼んだのだが、栄倉から離れたくないと言われてしまっていた。
次兄の条春は条元にも勝る体躯の持ち主で、武芸も達者であった。新たな用心棒として期待してのことであったが、まさか後に斎国を滅亡させる鬼神が如き将軍となるなど条元も本人も思っていなかった。
末弟の条隆は、二人の兄と違って線の細い青年であった。しかし、頭脳の方は二人の兄よりも上回っているという評判があり、条元としては魚然に代わる商売上の右腕として期待していた。こちらは後に政治面で条元を助け、条国の初代丞相となるのであった。
美堂藩の中枢に入り込むために条元がまず目を付けたのは家宰の謝玄逸であった。白竜商会は箕家に対して金を貸しているが、実際は謝玄逸に貸付けており、その謝玄逸が箕家に金を貸しているという流れになっていた。武家が金貸しから金を借りるなんてもっての外、という思想が箕家にはあった。
「迂遠なことだな。俺には武家に生まれて来なくてよかったと思っているよ」
条元は笑顔で金を貸しながらも、武家の奇妙なまでの矜持をせせら笑いたかった。素直に頭を下げて金を借りれない矜持など、今の世の中ではまるで役に立たないことを箕家の武人達は知るべきであろう。
「だからこそ謝家に付け入る隙があると兄貴は睨んでいるんだろ?」
と言ったのは条春であった。条元は弟達にはすでに自信の野望について語っていた。
「まさにそのとおりだ」
白竜商会が箕家に貸付けている金額は累計で十万銀を超えていた。現在は利息のみを払わしている状況であり、元金はそのままになっている。条元が気軽に貸付けているので、それに甘えるようにして箕家の借財は徐々に膨らんでいった。
「しかし、兄上。十万銀程度の借財では美堂藩を乗っ取るまでには至りますまい。担保を売却して終わるのが精々です。もっと、美堂藩が破綻するほどの借財をさせねばなりますまい」
末弟の条隆は知恵が回った。条元の狙いを正確に理解していた。
「隆はどの程度の金額が必要だと考える?」
「五千万銀」
条隆は事も無げに言った。かなりの大金である。しかし、今の白竜商会ならば貸すことができる金額でもあった。
「借金させるために儲けようとするなんて俺達だけかもしれないな。儲けるのも大変だが、箕家に五千万銀も借金させるのも至難だぞ」
「それについては私に一計があります」
条隆が続けてその計画を語った。条元は黙って聞いていたが、内心は弟の知恵に感心していた。
「よし、それでいこう。謝家の方が俺がやる。お前達は白竜商会の商売の方をしっかりと頼む」
条元達三兄弟が、国盗りという大事業に挑んだ最初の瞬間であった。
数か月の時が流れた。
美堂藩に拠点を移してから条元は度々謝家に訪れていた。そのほとんどが借金の督促ではなく、ご機嫌伺のようなもので、美堂藩内部の情報などを仕入れるのが目的であった。
「商売は恙無いようだな、条元」
謝玄逸は、条元が訪ねてきた時に在宅しておれば必ず会ってくれた。借金をしている負い目もあるのだろうが、斎国全土に渡って商売をしている条元から幅の広い情報を仕入れるのも目的であった。
「それで条元殿、何か面白い話はありましたかな」
「実は我が弟が、この前慶師に訪れた際、興味深い話を仕入れてまいりまして……」
条元の話に最初は適当に相槌を打っていた謝玄逸であったが、次第に身を乗り出すように聞き入っていた。
『かかったな』
条元は条隆の着眼点の良さに感心した。条元兄弟の壮大な国盗りが始まろうとしていた。




