栄華の坂~12~
条元が商会の凶事を知り得たのは、近甲藩の関所を通過した時のことであった。商用で関所をよく通るので、関所の役人の中に知己がいた。彼は条元の姿を認めると、すかさず大甲から届けられた凶事を告げた。
「まことか!」
「まことです。一昨夜のことで、怪しき者が関所を通らなかったかという触れが来ています」
条元は頭が真っ白になりそうなところを耐え、正気を保とうとした。
「教えてくれてありがたい。大甲を急ぎたい」
条元は懐から金子袋を取り出して役人に渡した。役人の顔がほころんだ。彼が条元に親切なのは、役得を得るためであった。
「手続きはで良い。急がれよ」
役人は手間のかかる関所での手続きを見逃してくれた。条元は馬を走らせた。
「旦那様。商会が襲われたというのは……」
「黄絨、黙っていろ。馬車が揺れて舌を噛むぞ」
条元は叱るように言った。しかし、その叱責は自分に向けてものだった。
『油断していた!』
盗賊の襲撃は用心していたのだが、まさか本当に襲われるとは思っていなかった。
そもそも近甲藩は治安がいい。だからこそ白竜は大甲に商店の拠点を構えたという。条元も一年近く大甲に住んで、この時代にこれほど治安がいい邑があるものだと感心したものであった。
『単なる物取りであれば良いが……』
亜好や魚然など人が無事であればそれでいい。条元は祈りながら大甲を目指した。
だが、その祈りは届かなかった。商会の前に到着すると、役人達が商会の前にたむろしていた。そこに商会の人間は誰もいなかった。
「おお、条元殿」
そこにも知己の役人がいた。条元は馬車を黄絨に任せると、商会の戸口に立った。戸口の前に数体の人間が筵の上に寝かされていた。いずれも商会の人間であり、その中に魚然もいた。
「魚然!」
条元の問いかけに魚然は答えなかった。ただ冷たい骸となっていた。
「一体だれが!」
条元は役人達を見た。彼らは気の毒そうな顔をしながらも、分からぬとばかりに首を振った。
「くそっ!」
条元は地に伏せ、大地を叩いた。悔しさをぶつける先が地面しかなかった。そこでふと気が付いた。亜好を含めて何人かいないのである。
「遺体はこれだけなのか?」
「左様です。女主人の姿はありませんでした」
役人達はその後、何かあったら役所に来るように告げ、立ち去っていった。条元が帰って来るまで商会を見張っていてくれたのである。役人達が条元に示してくれたせめてもの温情であった。
「旦那様……魚然様が……」
馬車を置いてきた黄絨が戻ってきた。この少年は知っている人達の亡骸を前にして今にも泣きそうになっていた。
「亜好がいない。談符憲と水唯もいないな」
「水唯も……」
黄絨と水唯は同郷である。それだけに仲がよかったので、彼の表情は沈んだままだった。
「無事に逃げおおせたのかもしれない。それよりも役人達は何をしているんだ……」
役人達はいなくなった亜好達の探索や、下手人の捜査などをしてくれたのだろうか。どうにも先程の様子を見る限り、そのような様子もなかった。単なる盗賊の仕業であるとは思えなかったが、今の条元にできることは死者達を葬ってやることだけであった。
白竜商会が賊に襲撃されたという情報は、大甲の町中を駆け巡ったが、それほど大事として捉える者はいなかった。治安の良いとされる近甲でもそのような凶悪な事件が起こるものだとわずかに恐怖し、心配する程度で三日もすれば過去の惨劇とする人達がほとんどであった。しかし、この事件を別の意味で深刻に受け止めている者がいた。藩主の佐険征である。
佐険征は道昇と白竜商会について話をした後に商会が襲われたので、それが道昇の仕業であることは明白であると確信していた。しかも、その襲撃に嫡子である佐谷明が加わっていることも、察していた。
「しれ者め!」
佐険征は佐谷明を呼び出し、叱責した。佐谷明は無言のまま不快そうに顔をそむけた。
「お前が日頃から道昇の所に入り浸り、荒くれ共とつるんでいるの知っている。しかし、白竜商会の件はやり過ぎだ」
「はて、何のことでしょうか、父上」
佐谷明はとぼけて見せた。こういうとぼけ方をする時は事実であるということを佐険征は父として痛いほど知っていた。
『こやつが嫡子で我が近甲藩は大丈夫か……』
佐険征には三人の男子がいる。三男の佐干甫は庶子であるため跡継ぎにはなれないが、次男の佐恵文は佐谷明と同腹の弟である。しかも佐恵文は兄とは似つかぬほど心優しく、聡明であった。家臣の中には佐恵文を嫡子とすべきだと声を上げる者もいた。
それでも佐険征が佐谷明を嫡子のままにしているかというと、もし佐恵文を嫡子にすれば佐谷明が弟を殺すのではないかという危惧が付きまとっているからであった。
『谷明の存在が我が佐家にとって災いにならなければいいが……』
佐険征の危惧は彼の死後に現実化となる。その災いの発火点がまさにこの白竜商会の襲撃に遠因するとは想像もできるはずがなかった。




