栄華の坂~10~
条元は美堂藩に向かった。気楽な一人旅のつもりであったが、一人供ができた。黄絨という少年であった。
『旦那は商会の顔なんですから、従者の一人でもいないと藩の連中に舐められてしまうます』
という理由で魚然が雇い入れた少年である。大甲近くの農家の息子で、利発でまめまめしく世話を焼いてくれた。
「俺も偉くなったものだ」
馬車の御者台に座るのは条元。黄絨はその隣で条元の手綱さばきを見守っていた。馬車の扱い方を覚えようとしているのだろう。その真面目さと向上心の高さを条元は好ましく思った。
「旦那様は偉くないのですか?」
「俺はもともと慶師で明日をも知れぬ宿無しだった。それからすると偉くはなったが、その程度のことだ」
「旦那様が宿無し?信じられません」
「事実だ。俺は運が良かっただけで、俺みたいな奴らはこの国には数え切れぬほどいる」
この少年はまだ世界を知らない。黄絨の生家も農家であるため裕福ではなく、寧ろ困窮の中にあると言っていい。しかし、そこが黄絨にとっての世界であるため、自分の生活以上のことも以下のことも想像ができぬのである。いずれ黄絨は条元について世界を知るにつれ、自分がまだ恵まれていたのか、そうでないのかと悩み考える時が来るのだろう。
『その頃にはもう少しまともな時代になっておればいいが……』
黄絨にとって良き見聞を広める旅にになってくれればと条元は思った。
美堂藩に到着した。藩の領地としてはまことに小さい。主だった邑は藩都の堂上しかなく、あとは小さな集落がいくつかある程度であった。しかし、堂上の殷賑は大甲にも引けを取らず、見かけだけは経済的な豊かさを感じることができた。
「これほど人がいて、どうして藩主は金に困るのでしょうか?」
黄絨という少年は実に聡い。自分が黄絨ぐらいの年齢の時に、同じようなことを考えられただろうかと黄絨の将来が実に楽しみであった。
「大甲藩もそうだが、藩の公金と藩主の私財を混同していない証拠だ。だが、藩主の収入が藩の財政から得られるものである以上、いずれ藩主の困窮は藩の経済にも影響を及ぼす。その理屈が分かれば、黄絨も商人になれるぞ」
美堂藩の藩主である箕政はまだ藩主としての良識があるのだろう。藩主個人が金に困り始めても、増税を行って収入を増やそうとしないのは、藩の経済と言うものをまだ理解しているからであろう。しかし、借財が膨らめばいつかは手を出さざるを得ず、結果として美堂藩の経済は地に落ちてしまうだろう。その前に金を貸すのが条元の仕事であった。
『問題は担保を取れるかだ……』
藩主や領主に金を貸す場合、普通は家重代の宝物や私有地を担保に取ることが多い。美堂藩にどれほどの担保があるかを見極める必要はあった。
条元は堂上をぐるりと一回りしてから箕家の家宰である謝玄逸と対面した。謝玄逸は捉えどころのない顔をしていた。美服を来ていなければ、堂上で店を開いている商人か工人にしか見えなかった。
「謝玄逸です。この度、遠路はるばるご苦労でした」
謝玄逸は丁寧に挨拶をした。藩主や貴族、公族などには金を借りるくせに居丈高に振舞ってくる連中もいたが、謝玄逸はどうやらそういう性質の人間ではないらしい。
「条元です。それでいくらほどご入用ですか?」
「一万銀ほど」
謝玄逸は即答した。予め金額を決めていたらしい。
『存外少ない……』
条元がこれまで取引してきた藩主や領主、貴族公族などは十万銀や百万銀を要求してきた。条元は担保や返済能力などを考慮して貸付ける金額を決めていたが、一万銀という金額はこれまでなかった。
『それとも借り慣れているのか?』
少額なら安易に貸してくれる。あるいはそれを狙っているのかもしれない。そうだとすれば、箕家には他に借金があると考えた方がいいかもしれない。調べてみる必要はあると条元は判断した。
「我が商会では初回の方は半年後の返済となり、利息は二割となります。従って一万銀借りれば半年後に一万二千銀の返済となります。それはお分かりいただいておりますか?」
「勿論です」
半年で金利二割は決して暴利ではない。寧ろ金貸しとしては安い方かもしれない。これは白竜商会が主に個人ではなく団体に貸し付けているからであった。
「それと担保も入用です。二週間後にまた参りますので、それまでに担保をご用意ください。それに応じて金額を決め、その場でお貸しいたします」
「承知しました」
謝玄逸はやはりどこか慣れている様子があった。やはり他に債務がないか調べてみる必要があると思い、貸付するかどうか即決するのを避けた。条元はその日のうちに堂上を発つことにした。




