栄華の坂~7~
酒が進んだ。条元は勧められるままに酒を飲み干し、亜好も勧めるままに杯を重ねていった。上座と下座に座っていた二人の距離も空になった瓶の分だけ縮まっていった。
「条元殿は慶師で宿無しと聞いていましたが、武芸はあり教養もおありのようで。魚然などはどこかの貴族の舎弟であったのではないかと申しておりますよ」
「はは、俺が貴族の舎弟ね。まぁ、家伝では昔は斎公にお仕えした武人だと聞いております」
それが事実であるどうか分からないが、条元の生家は栄倉の貧農であるはずなのに、それほど広くない家にはどういうわけか書棚があり、書物が詰まっていた。条元はそれで文字を覚えたし、教養を身に着けた。生活が一層苦しくなった数年前、条元は書物を売って生活の足しにしようと母に言ったことがあった。これに対して母は、
『これは我が家がかつて斎公に仕えていたという証です。それを売るというのは魂を売るということです。それでも売るというのなら、そこの短刀で母を刺してからにしなさい』
母の異様なまでの覚悟を聞いて条元は震えた。あるいは本当にこれらの書物は斎公に仕えていたというか細い証なのかもしれないと思わないでもなかった。
「左様ですか。今の条元殿を見ていると、事実であるように思われます」
「事実かどうかはどうでもいいのです。現実として私は宿無しだったのですから」
「ですが、今は良き商人です」
「誠に。これも亜好様のおかげです」
「いえ、礼を言わねばならぬのは私の方です」
条元の杯が空になったのを見た亜好が瓶を差し出した。酔いが回っていた亜好は瓶を手から滑らせた。酒がこぼれて条元の服にかかった。
「ああ、これは失礼を……」
慌てて立ち上がった亜好は足がもつれ倒れた。条元が優しく亜好の体を受け止めた。
亜好は離れようとしなかった。条元の体に身を預け、何事か起こることを待っているようであった。条元のすぐ近くに亜好の厚ぼったくも張りのある唇がある。条元は野性的にその唇に自分の唇を押し当てた。
『亜好は拒むか……』
拒めば白竜商会から去らねばならない。その覚悟をしていた条元であったが、亜好は拒むどころか情熱的に舌を条元の口内に捻じ込んできた。勢いに任せ、条元は襟元から手を入れて旨をまさぐった。亜好はこれも拒まず、妖艶な声を漏らした。
「抱くぞ」
条元が囁くと、亜好は小さく何度も頷いた。条元は亜好を抱きかかえると、隣室へと移動した。やはり寝台が用意されていた。
『魚然め』
魚然がこうなるようにとお膳立てしていたようである。魚然の真意がどこにあるのか分からぬが、今は条元に抱きかかえられた亜好を男として抱かねばならなかった。
亜好を寝台にそっと下ろすと、衣服を脱がせた。肉付きのいい良い体をしていた。
条元は女を知らぬわけではない。材木屋に勤めている時に金が溜まれば娼館に通ってこともあり、酒場で知り合った女と一晩だけの情事を過ごしたこともあった。だが、亜好ほどの女はいなかった。条元は緊張しながらも、亜好の体を愛撫した。亜好はもはや一人の女となり、条元の愛を受け入れていた。激しい情事であった。互いに貪るように求めあい、やがて精根果てて二人とも知らぬうちに眠りに落ちた。
差し込む朝日の光で条元は目を覚ました。のそりと起き上がると、亜好が寝台で幸せそうに眠っていた。亜好を起こそうかと考えたが、一緒に帰るのも気恥ずかしかったので、先に帰ることにした。
料亭を出ると、馬車の御者台に座っている魚然がいた。条元を認めると、清々しい笑みを浮かべた。
「俺を迎えにきたわけではないのだろう」
「ご明察です。姉さんはまだ中ですかい?」
「ああ。俺は歩いて帰るよ」
そう言いながら、条元は御者台に上った。
「どういうつもりだ。こんなお膳立てをして、何が狙いだ」
「狙いと言うほどのことはありません。ただ、姉さんと条元殿が結ばれればよいと思っただけです」
「だからどうしてそんなことをする?」
条元はやや苛立った。魚然が急に悲し気な顔を向けてきた。
「ひとつは姉さんのためです。姉さんは条元殿が来られてから、ただならぬ感情を持っておられたようなので、その後押しをしたまでです」
条元が何も言わなかったので、魚然が続けた。
「もうひとつは商会のためです。親分が亡くなってから何とかやってきましたが、どうにも大変になっていました。そこへ条元殿が現れ、商会の売上も上向いてきました。こうなれば条元殿には姉さんと結ばれて、商会の代表として残って欲しいと思ったわけです」
「商会の運営であるなら、魚然殿でもやっていけよう」
「あっしはあくまでも手代どまりです。姉さんの良い人にはなれませんし、商会の顔にはなれません。それに商会のことを狙う敵も多いのです。商会を守っていくにはどうしても条元殿の力が必要なのです」
「お前さんの気持ちはよく分かった。しかし、他の奴らが何というかな?」
「へへ、すでに皆には話をつけておりますよ」
用意のいいことだ、と言って条元は御者台から降りた。
「条元殿、気に障りましたか?」
「多少はな。しかし、商会を去るつもりはないから安心しろ」
どうぜ条元に他に行く当てはないのだ。条元は大甲の街並みに消えていった。




