栄華の坂~4~
条元の旅が急に快適になった。
馬車に乗ることができたし、何よりも期待した通り食事にも宿にも困ることがなかった。
条元が助けた女は亜好といった。御者の小男は魚然と名乗った。どちらも耳馴染みのない姓である。
『偽名だな』
そう思った条元は御者台で並んで座る魚然にさらに素性を訪ねると、金貸しであると素直に教えてくれた。
「ははぁ。金貸しね」
道理で羽振りがいいわけである。宿も食事もこれまで条元が目にしたことのないものばかりであり、何よりも客車に座っている女の着ているものが貴族が着ていそうな一張羅であった。
「へえ、あっしも姉さんも本名なんぞ知らんのです。親分が名付けてくれたんです」
魚然は頼んでもいないのにさらなる素性を語ってくれた。
「あっしらの親方は『金貸し白竜』と呼ばれていました。勿論、正業として金貸しもしておりましたが、裏でも色々とあくどい稼業もしておりました。しかし、一方で身寄りのない子供なんか養ったりもしていました」
「ほう。なかなか有徳人だな。ところで二人は姉弟なのか?」
「ははは。とんでもない、あっしの方が年上ですわ。それに親分は別に慈善で身寄りのない子供を養っていたわけじゃありません。あっしのように手下や、姉さんのような情人にするためですわ」
それでも死なずに生きていける命となるならば、金貸し白竜がやっていることには十分に意義があるように思われた。斎慶宮で酒池肉林の宴を繰り返している連中よりよほど人民のために役立っていた。
「ところが白竜親分は二年前に病で死んじまったんです。それで親分の一番の愛人であった姉さんが身代を受け継いで金貸しを続けているのですわ」
「あのご婦人がね……」
美しいご婦人であったが、荒くれたちをまとめ上げるような気性を持ち合わせているようには見えなかった。よほど金貸し白竜に人徳があり、それが部下達に浸透していたのだろう。ちなみに魚然は御者かと思っていたが、実質的に仕事を取り仕切っている手代であるらしい。
「しかし、金貸しなら、この度の徳政令で打撃を受けたのではないのか?」
「あっしらは金を貸す時必ず担保を預かります。徳政令には担保の返還も含まれていますが、実際に返還を要求してきた奴らはいません。もし返還を求めたら次に金を貸してくれないことを知っていますし、どちらにしろ担保となるのは借主からするといらぬものなのです」
「なるほど。金貸し白竜とは大した男だったらしいな」
そりゃはもう、と魚然は自分が褒められたかのように嬉しそうであった。条元は後の客車に座る亜好を見た。亜好は好奇の視線をこちらに向けていたが、条元と目が合うと恥ずかしそうに顔を伏せた。
『こいつは奇貨だな』
条元は生来悪性ではない。後に彼が為したことをもってして多くの人々は梟雄と呼ぶが、性根は悪人からはほど遠かった。この時も、亜好と知り合ったことも、単に生きる術を見つけた程度にしか思っていなかった。
「しかし、このご時世、野盗に狙われるということは相当羽振りがいいな。この馬車も貴族が乗っていそうな上等なものだしな」
「そうでもありません。親分がなくなってから、去っていった使用人も多くいますし、親分が養っていた子供達もいなくなりました。今はあっしと数人だけで細々とやっています」
それなら尚更好都合だ。当初は見知った大甲の商人に頼み込もうと考えていたが、今の状況なら魚然達の方が高く買ってくれるだろう。条元は切り出した。
「魚然殿、どうだろうか?勿論、亜好殿と話し合ってのことだが、俺を雇ってはもらえまいか?」
「へ?旦那をですか?」
「ああ。俺はその日の食事にもありつけないような身分だが、それなりに腕が立つのは見てもらえただろう。こういう世の中だからこそ、用心棒がいた方がいいと思うが」
どうだろうか、と問うた。魚然は迷惑そうでもなく、逆に目を輝かせていた。きっと同じことを考えていたのだろう。
「へぇ、そりゃこちらとしては願ってもないことです。ねえ、姉さん」
魚然が客車の亜好に問いかけた。亜好は少し顔を紅潮させながら、こくりと頷いた。
「それなら決まりだな。是非ともよろしく頼む。何、大した給金はいらぬ。ひとまず飯と雨漏りのしない寝床をくれればそれでいい」
この時は本当にそれでいいと思っていた。




