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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
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栄華の坂~3~

 慶師を出た条元は南へと向かった。行く当てはあった。近甲藩の藩都大甲である。そこに材木屋時代に知り合った商人がおり、知己となっていた。

 『困ったことがあったら俺のところに来い。何ならあいつのところを辞めて俺の手代になってくれてもいいんだぜ』

 その商人は条元と顔を合わせる度にそう言ってくれた。この徳政令による経済の混乱でまだ商売を続けられているかどうか分からないが、ともかくも今は彼しか頼れる当てはなかった。

 それに近甲藩にも興味があった。近甲藩は文武両道を旨としており、それでいて才能と一芸ある者を広く求める藩風があるため、武人として雇ってくれるのではないかという淡い期待もあった。

 そのような前途に対する期待とは裏腹に、旅路は過酷そのものであった。路銀を作ることなく慶師を出たため、結局はその日暮らしの生活をするよりなかった。邑を見つけてはそこで慶師でやっていたような雑役をこなして金銭を得るか、路傍に座り込んで食糧を恵んでもらう他なかった。

 それでも条元は悲観することなく旅を続けた。一歩でも近甲藩に近づくほどに前途が開かれる。そう信じなければ、条元は過酷さの中に埋没していただろう。

 慶師を出て幾日か過ぎた。近甲藩に辿り着くまであとどれほどの日数を要するか分からぬまま条元の足は南へと向き続けた。その日も夜を迎えた。近くの邑でなんとか食事にありついた。

 「さて……」

 邑を出て塒に適当な場所を探そうとしていた条元の脇を一乗の馬車が駆け抜けていった。随分と速度を上げており、おそらく御者は条元のことを見えていなかっただろう。

 「危ねえな」

 条元が聞こえるはずもない悪態をついていると、今度は背後から、どけどけという罵声が飛んできた。条元が咄嗟に路傍に身を避けると、騎馬が数騎、馬車を追うように駆けていった。

 「野盗か?」

 この時代、まだ鞍や鐙といった馬に乗るための道具の開発が不十分であり、身分ある者が馬を移動手段で使用する場合は専ら馬車が使われた。馬に跨って移動する者はほどんどおらず、裸馬に跨る即ち盗賊であると言われるほどであった。

 「あの馬車が野盗に襲われているのか?」

 あの馬車も災難だな、と思う程度で、条元には関わりのないことであった。関わりのないはずであった。

 しばらくして大きな物音がした。条元は自然と駆け出していた。小高い丘を越えると林があり、ちょうどその林に入る手前で先程の馬車が横転していた。

 「林を避けようとしたが避けきれずに転んだな」

 しめたばかりに野盗達が馬車に群がっていく。条元は無視を決め込んでもよかった。だが、条元の体は自然と動いていた。

 「あの馬車は金持ちのそれだ。助ければ、幾ばくかの金を貰えるかもしれない」

 条元は武芸には自信があった。生家は貧しかったが、それでも近所には武芸達者な男がおり、近所の若者達と一緒になって彼に剣術を学んでいた。条元はそこで一番の強者となっていた。条元の自信とはその程度であった。

 「田舎剣術でも野盗には勝てるだろうよ」

 野盗は全員で四人。やるかやられるか。どうせ今よりも悲惨な境遇になることはない。それならばここで人生を賭けてみる価値はあるように思われた。条元は剣を抜いて、静かに駆け出した。

 野盗達は条元に気が付いている様子はない。馬車に夢中になっていた。横転した馬車から女が出てくるのが見えた。その前に小男が短刀を手に立ち塞がり、野盗達と対峙している。

 『あの男では守れまい』

 条元は走る速度を上げた。まだ野盗達は条元に気づいていない。条元は跳躍して野盗の一人を背後から斬りかかった。

 「げえぇ……」

 斬りつけられた野盗は潰されたような声を上げ、落馬した。

 「何奴だ!」

 別の野盗が吠えたが、条元はすぐさま剣を振り、声を上げた男の腹を斬りつけた。斬られた二人がほぼ同時に落馬し、起き上がることはなかった。

 「に、逃げるぞ!」

 残された二人は馬の尻を叩き、脱兎のように逃げ出していった。条元としては逃げてくれる方がありがたかった。これ以上、人を斬りたくなかった。

 『そういえば、初めて人を斬ったのか……』

 その割には見事にできたものである。条元は服の裾で剣の血をぬぐった。

 「あ、ありがとうございます」

 呆然と立ち尽くしていた小男が我に返ったように礼を言った。

 「礼はいい。怪我はないか?それとそちらのご婦人は?」

 大丈夫でございます、と女は言った。近くで見るとなかなかの美女であった。年はそこそこいっているように見えたが、目鼻立ちがすっきりとしていた慶師でも見かけたことのない美しさであった。

 「馬も無事のようだな」

 条元は小男と協力して横転していた馬車を起こした。小男は何か行動をするたびに礼を言ってきた。

 「どこまで行くつもりなんだ?」

 「へえ、大甲まで」

 「ちょうどいい。俺も大甲に行く予定だ。この先の用心棒になってやろう」

 「本当でございますか。よろしいですね、姉さん」

 姉さんと呼ばれた女は、勿論ですと答えた。小男は嬉しそうであった。きっとこれからの旅路に不安を感じていたのだろう。条元としてもこれで大甲まで食いっぱぐれることがなくなった。


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