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七国春秋  作者: 弥生遼
栄華の坂
524/959

栄華の坂~2~

 塒にしている廃屋の壁は所々朽ちていて、屋根は壊れている部分が多かった。それでも屋根が残っている場所ならば雨露をしのぐことができたし、近所の同じく廃墟になっていた厩舎から拝借してきた藁のおかげで寒さから身を守ることもできた。

 「しかし、このままではいかんだろう……」

 職を見つけなければならぬ。こんな廃屋でのその日暮らしでは、本当に餓死者として運ばれる未来はそう遠くない。

 条元は斎国の南、栄倉という周囲を山に囲まれた寂びれた村の出身であった。父は幼少の頃に亡くなり、母と二人の弟、一人の妹と暮らしていた。生業は農業であったが、田畑を耕すだけでは家族を養うことができないので、職を求めて遥々慶師へとやってきたのである。

 慶師でありつけた職は木材屋。慶師近郊の山々から木を切り出し、方々へと売り捌くのが仕事であった。条元は黙々と働いた。木材屋の親方は厳しい人であったが、条元のことを買ってくれていた。

 『条元には見どころがある。将来、暖簾分けしてやってもいいな』

 親方はそう言ってくれたので、条元はますますやる気を出して仕事に励んだ。しかし、半年前に悲劇が起こった。斎国全土に徳政令が出たのである。

 徳政令は公族貴族の生活が苦しくなると、度々発令された。要するに公族貴族が借金や買掛金を放棄できるのである。これにより斎国の経済は大混乱した。条元が勤めていた材木屋もそのあおりを受けた。当然、放棄された債権もあり、ついには資金繰りが悪くなり、親方と女将さんが首を括ってしまった。それがちょうど一か月前のこと。以来、条元は今のような暮らしをしている。

 「一層のこと、慶師から出るか……」

 材木屋に勤めていた時に知り合った商売相手を頼ってみるのも手であった。徳政令による経済の混乱は地方の方が小さいという。頼み込めば雑役ぐらいには雇ってくれるだろう。

 「しかし、そのためにも路銀がいる」

 あの老婆には悪いが、真似をさせてもらおうか。路銀を稼ぐまでなら許してくれるのではないか。そんなことを考えならが、条元は眠りに落ちた。

 翌朝、条元はいつもの南大門に向かった。朝になると南大門が開き、商隊が続々と入ってくる。その中に食糧を恵んでくれる者も少なからずいるからであった。勿論、その施しにありつこうと考えているのは条元だけではない。すでに数十人の宿なしがたむろしていた。

 「婆さんはいないか……」

 あの老婆はああ見えて羽振りがいいはずだ。食糧を恵んでもらうようなことはしないのかもしれない。そんなことを考えていると、目の前を例の畚を担いだ二人組が横切っていった。また餓死者か、と嫌な気分になっていると畚の中が自然と目についた。

 「ば、婆さん……」

 畚の中に体を小さく折り畳まれたあの老婆がいた。当然ぴくりとも動いていない。

 「何だ?この婆さんの知り合いか?」

 畚担ぎが足を止めた。

 「いや、昨日の夕刻に南大門で話しかけられたんだが……」

 「ふうん。どうやら暴漢に襲われたらしい。可哀そうにな。こんな年寄り、襲っても何の益もないだろうに」

 畚担ぎは言うだけ言って歩き出した。条元は見送るしかなかった。

 『昨日の会話、誰かが聞いていて、婆さんの跡をつけたな』

 そして婆さんを突き止めて、溜めこんでいた金銭を奪ったのだろう。

 「無体なことをする……」

 貧しいことは罪ではないだろう。しかし、貧しさが罪を犯させるのであれば、貧しさを生んでいる連中こそ罪に問われなければならないだろう。

 「親方も女将さんも、そしてあの婆さんも悪人ではない。それで死なねばならないというのであれば、これは殺人だ」

 殺人犯は間違いなく斎慶宮にいる。彼らがどんな貪婪で頽廃的な生活を送っているか、慶師の人間ならば知らない者はいなかった。今、条元は明確に彼らに対して怒りを感じたが、その怒りの熱量を吐き出す場所も方法も条元にはなかった。

 「親方、女将さん、それに婆さん。済まないな」

 条元は慶師を出る決意をした。これ以上、慶師にいれば息が詰まってしまう。それならば慶師を出て野垂れ死ぬ方がましであるように思えた。

 一度塒に戻って数少ない荷物をまとめた。寝床にしていた藁の下から一振りの剣を取り出した。鞘は粗末であるものの、鈍らではない。母曰く、条元の父が愛用していた剣であるらしい。これを売れば幾ばくかの金にはなるのだろうが、売るつもりはなかった。

 『この剣は条家がかつて斎公のお仕えしていた武人であることを示す唯一の証です。もし、これを売るというのであれば、ここで親子の縁を切ります』

 母はそう言ってこの件を条元に渡したのである。条家が本当にかつて斎公に仕えていた家柄なのかどうかは分からないが、母と縁切りされたくないので、こればかりは大事に持ち続けていた。

 「それだけ剣ならば、たまには俺の富貴をもたらして見せろ」

 条元は剣を背中に背負い、慶師の南大門を潜った。

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