蒼天の雲~66~
願水で大敗した尊毅は、わずかな供回りを引き連れて逃亡した。その人数は項史直を入れて五人。最初は慶師を目指していたが、すでに龍公によって慶師が占拠されていると知ると、慶師に入るのは断念した。
「泉公は俺の先の先を読んでいやがる。ふ、勝てるわけがないか」
尊毅にはもはや絶望の二字しかなかった。このまま慶師の門前で自害して果てたい気分になっていた。
「何を仰いますか。まだ尊家の領地があります。あるいは栄倉もあります。お気をしっかりとお持ちください」
項史直が懸命に励ましてくれた。しかし、その項史直の方が明らかに憔悴していた。
「そこにも敵がおればどうするのだ?」
「その時は、その時でありましょう」
「なるほど、それは尤もだ」
鼻で笑った尊毅はともかくも今は生きることにした。
慶師を離れ南下した一行は、ともかくもかつて尊家の領地であった地へ向かおうとした。特に追っ手が迫っているという危機感はなかったが、それでも人目を警戒し、獣道を選び進んでいた。
慶師を離れて三日目の夜。尊毅達が焚火で暖を取りながら夕食を取っていると、周囲から人の気配がした。
「追っ手かもしれません」
項史直が声を潜めて手元に剣を引き寄せた。尊毅と残った配下の兵士達も続いた。彼らは尊毅に身を寄せ、剣を抜いた。
闇から姿を見せたのは野良着を着た農民のようであった。いずれも竹槍やら農具を構えている。落ち武者狩りでもしているのだろう。粗末な装備だが、数が揃うと厄介である。ざっと見えているだけで十四五人はいるだろうか。
「何をしようとしているのか。俺はお前達の主君、尊毅であるぞ」
尊毅はあえて尊大に言った。農民であるならば、国主と言う権威に見逃すか、あるいは逆に匿ってくれるかもしれない。尊毅はそんな甘い幻想を抱いていた。
「主上!」
項史直が袖を引いた。農民達は顔を見合わせたが、手にしている農具を下ろすことはなかった。
「本当だ。この方は斎国国主、尊毅様であられるぞ。その方ら、ここで見逃せば、いずれ報奨は思いのままだぞ」
項史直が仕方がないとばかりに声を上げた。
「ひひ、これはいい。元主上となれば、より報奨は高くなる」
頭らしい男が右手を上げて合図すると、さらに人数が増えた。全員で二十人以上になっただろうか。中には女も交じっていた。
「お前さんが戦ばかりするから、田んぼ耕す若者がいなくなって、この辺は枯れ田ばかりだ。皆食うに困っている。でも、お前さんの首を慶師に差し出せば、一生安泰だ」
「主上を守れ!」
項史直が号令するよりも早く、農民達が一斉に襲ってきた。いくら歴戦の武者であっても多勢に無勢。疲労もあってか、尊毅を守ろうとする兵士達が次々と竹槍と農具の餌食になっていった。
「血路を開け!主上!」
項史直が剣を振るって農民達の集団に穴をあけた。尊毅はそれを見逃さず、一気に走り抜けた。
「史直!」
尊毅は立ち止まり、一瞬振り返った。すでに項史直の姿は見えず、自分を追ってくる者達しか見えなかった。
『史直、すまん』
尊毅は一人駆け出した。断末魔のような叫び声が聞こえてきたが、尊毅は立ち止まることも振り向くこともできなかった。
それからどれほどの時間が過ぎたのだろうか。一人で逃亡を続けた尊毅は、自分がどこにいてどこに向かおうとしているのか分からずにいた。
「ここはどこだ……」
街道を外れて歩き続けたのでまるで見当がつかなかった。近くに集落が見えたが、近づくのは危険なようにも思われた。
「尊毅様でございますね」
背後から突然声をかけられた。慌てて振り返ると、二人組の女性が立っていた。身なりの良い服装をしていて、武器も帯びていなかった。
「そなたらは……」
尊毅は警戒しながらも、武器を抜かなかった。
「お迎えに参りました。我が主があちらにお待ちしております」
女性は囁くように言った。尊夏燐のような女性武者にはない上品な身のこなしであった。
「そなたらの主?何者だ?」
女性は意外な人物の名前を告げた。尊毅は一瞬逡巡したが、その人物に会うことにした。




