蒼天の雲~65~
斎治は泉国軍をはじめとした諸国の連合軍に擁されて慶師に到着した。実に二年ぶりの帰還であった。すでに龍公達が慶師に到着しており、尊毅が去った後の慶師の治安を維持してくれていた。
慶師の門前にはその龍公と譜天、羽綜将軍。そして少洪覇と尊夏燐、董阮が迎えに出ていた。輿を降りた斎治は、まずは額づいている少洪覇に手を取って立たせた。
「洪覇……。苦労をかけたな。そなたが諦めずに戦い続けてくれたからこそ今があると思っている。先に条公を倒した時は報いることが少なかったが、今度はそなたを失望させるようなことはしない。それで許して欲しい」
斎治が涙を流すと、少洪覇も顔をくしゃくしゃにして嗚咽した。続いて董阮の手を取ったが、言葉を交わすことはなかった。斎興に仕え、斎治を守り抜いてきた董阮との間には言葉を交わさずとも通じ合う絆のようなものがあった。
「さて、尊夏燐」
斎治は最後に尊夏燐を立たせた。尊夏燐は明らかに緊張していた。
「兄と戦うことになり、さぞ辛く、大変であっただろう。それでも余に与力してくれたこと、嬉しく思うぞ」
「私をお許しくださるのですか?」
「許すも何も、何の咎があろう。洪覇をよく支えてくれた。功績しかあるまいよ」
「私は兄に従い、主上に反逆いたしました。そのことについて罰をくだされるものと思っていましたが……」
「過去はそうであろう。しかし、今は違うではないか。そなたが過去に犯した罪で苦しむのであれば、今回の功績で相殺としようではないか」
以前の斎治であれば、間違いなく尊夏燐のことを許さなかっただろう。何かしらの処罰を加えるか、尊毅をおびき出すための餌に使っただろう。しかし、斎国を出てからの苦労が斎治の人格を変えたと言ってもよかった。
「主上……。これからは兄の分も主上に尽くします」
「よく言ってくれた。洪覇と力を合わせて斎国軍の再建して欲しい。さて、湿っぽい話はこれで仕舞だ。そろそろ余を慶師に入れてくれ」
斎治は三人を従え、慶師に入城した。
慶師では多くの民衆が歓呼をもって斎治を迎えた。条高を倒し、斎国国主に復権した時は、やはり民衆は斎治を歓迎してくれた。しかし、その後の失政で斎治の徳望は失われつつあった。それでもその後の尊毅政権が戦争に次ぐ戦争で民心を疲弊させていたので、それを終わらせた斎治はやはり歓迎できる存在になっていた。勿論、彼らはその背後にいる泉公のことを見ていた。
慶師の治安は先に入城した龍公によって見事に維持されていた。
「相手が何人であっても他者の生命と財産に手を出すものがいれば、俺は容赦なく処罰する」
龍公は引き連れている将兵達に厳しく言い渡していた。そのため、尊毅の家族をはじめとした尊家に与していた者達とその家族にも危害が加えられることはなかった。
「流石は龍公です。私なんかがこうして出張ってくる必要はなかったかもしれませんね」
樹弘は慶師に入城する列の最後尾で龍公と轡を並べていた。
「何を仰います。慶師の民衆は斎公や私の背後に泉公を見ていますよ」
「そんなことはないよ。当然ながら斎公に人望がなければ慶師の民衆もこうして向かえないでしょうし、龍公にも徳がないと将兵が従わなかったでしょう。ああ、そうそう。いずれ話をしなければならないことなのですが……」
樹弘は声を潜めて義王についての秘事を龍公に明かした。龍公は目を丸くして絶句した後、本当ですか、と聞き返した。
「分からないが、本当だろうと思っている。だから、僕と印公は早々に界畿に戻って調査しようと思っている。慶師には比丞相が残るから、後事はお願いしたい」
「了解しましたが、いやはや、とんでもないことになりましたな」
「そういうば、界公の姿が見当たらないと聴いたが?」
「そうです。斎慶宮に住んでいたということは間違いないようですが、私達が入城した時にはすでに姿はありませんでした」
「界公の口から聞き出すのが一番だと思っていたんだけどな……」
「実はそれについては妙な話を聞いています」
「妙な話?」
「はい。尊毅が出撃する前に界公を弑いたというのです」
龍公の話では斎慶宮を護衛していた尊家の兵士がそう自白したそうである。しかし、斎慶宮には界公の遺体はなかったという。
「どうも妙な話だな。まぁ、どちらにしろ尊毅を捕まえてみないと分からないな。ご足労だけど、界公の行方も調査して欲しい」
「分かりました」
龍公は小さく頷いた。




