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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
515/962

蒼天の雲~62~

 願水の山系を占拠して三日。思いもよらぬ知らせが尊毅のもとによせられた。

 「水がない……だと」

 「はい。発見した水源はすでに枯れており、他の水源を探していますが、どうにも見当たりません」

 輜重担当の士官が報告してきた。まだ桶に溜めこんだ飲料水があるが、それも一週間ほどで尽きてしまう量しかない。

 「なんとしても見つけ出せ。それにこのことは誰にも漏らすなよ」

 戦争において武具以上に重要なのが飲食物である。特に水の枯渇は死活問題であった。

 『まさか敵の罠だったのではないか……』

 敵軍はこの山系に水源がないことを知って撤退したのではないか。疑念を持てばきりがなかったが、尊毅は敵に不気味なものを感じていた。

 尊毅にはまだ選択肢があった。この優位に地点を捨てて水源が確保できる地点で泉国軍を待つこともできた。

 しかし、尊毅は戦術面での地形的優位を捨てきれなかった。尊毅は有能な武人ではあったが、大局的な視野に欠き、戦場での駆け引きに固執するところがあった。

 『水が尽きるまでに泉公を撃破すればいい……』

 間もなく決戦が始まる。尊毅は信じて疑っていなかった。


 「まさか我らが先にあの山系を確保したこと自体が罠であったとは尊毅も思っておらんだろう」

 願水山系に翻る尊毅軍の軍旗を見て文可達は満足そうであった。

 「願水。まさに水を願う、です。その名前が示すようにここは水源に乏しい地形。そもそもこの近辺には水田がないので、気づくはずなのですが」

 尊毅は気が付かなかったようです、と劉六は言った。当然ながら劉六は、願水という場所が水に乏しい場所であることは承知していた。その山系は特に水源を確保することが難しい地点であり、そこに陣を敷くのは無謀であることも承知していた。劉六はそのことを文可達に話したうえで、山系を先に占拠することを提案していた。

 「我らが先に占拠すれば、尊毅はここが戦術的優位な場所であることを確信して攻めてくるでしょう。多少抵抗して我らが引けば、水がないことに気が付いても、容易に手放さないはずです。我らは尊毅が山を下りないことに注視しながら、主上の到着を待ちましょう」

 「恐ろしいことを考えるな、軍師殿は。貴殿を敵にしなかったことを安堵しておりますよ」

 「私にできることはこの程度です。後は将軍方の働きだけです」

 劉六は表情一つ変えなかった。すでに劉六の中では勝敗がついていた。


 尊毅が願水の山系に陣取って一週間。泉公はまだ戦場に到着していなかった。空の水瓶が増えていき、尊毅は焦り始めていた。

 『ここを捨てるべきか……』

 尊毅は何度も山系を放棄することを考えた。しかし、その度に明日にでも泉公が戦場に現れるのではないかと思うと、やはり地理的優位を捨てきれなかった。

 「主上、なんとかしませんと……」

 項史直の顔にも疲労と困惑の色が見て取れた。無論、尊毅もこれまで無策のまま今を迎えたわけではない。少数の部隊を山系から下ろし、水を探し求めさせたが、ことごとく敵軍の哨戒兵に見つかり、目的を果たすことができなかった。

 「雨ごいでもするか?」

 「主上……」

 「分かっているよ、冗談だ。しかし、このまま干上がるのなら、決死の突撃をすべきかもしれないな」

 「それこそご冗談でありましょう」

 項史直顔色に不快さを隠さなかった。冗談ではなく、この時の尊毅は本当に決死の突撃をわずかながらに考えていた。

 その夜のことである。願水山系の陣地から脱走兵が相次いだのである。項史直からの報告を受けた尊毅は、寝台から飛び上がると怒声を発した。

 「水のことは秘しておけと言ったはずだぞ!」

 「輜重担当の士官が我先にと逃げ、それで勘づいた将兵達が騒ぎ立て、脱走していきました」

 項史直は脱走兵を捕まえ、見せしめに殺すことによって何とか混乱を鎮めたが、それでもまた将兵達が騒ぎ出すのは時間の問題であろう。

 「俺が何をした!どうしてこのような惨めな報いを受けるのだ!」

 何故だ、と叫んだ尊毅であったが、返答などあるはずもなかった。そして、この晩、泉公樹弘がようやく戦場に到着していた。

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