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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
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蒼天の雲~56~

 泉春を出発した樹弘は途中で軍を吸収しつつ、一か月余りで静国にいる李志望と合流した。

 「お久しぶりでございます、主上」

 「うん。これまでのことを労ってあげたいけど、尊毅を片づけた後のこととしよう。状況は?」

 「尊毅軍は吉野を囲む一方で佐導甫を将として我らを迎撃しようとしています」

 「敵は進んで戦力分散してくれた。劉六殿、どうしようか?」

 「単純なことです。全軍をもって佐導甫を撃滅しましょう。佐導甫が敗北したとなれば、尊毅も吉野を囲んでいる場合ではなくなります」

 「僕もそう思う。李将軍、この度は先陣を命じる。但し、体が鈍っていると、文将軍や相将軍が追い越してしまうぞ」

 樹弘は長く燻っていた李志望のことを思い先陣を命じた。李志望は興奮のあまり顔を紅潮させた。

 「仰いましたな。我らがどれほどの修練を積んできたかお見せしましょうぞ」

 李志望は豪快に笑った。武人としての血が騒ぎ出しているようであった。


 尊毅軍本隊から離れた佐導甫は、一万近くの軍勢を率いて北上した。尊毅に命令されたこととはいえ、気乗りしていなかった。

 常に勝ち馬に乗るようにして尊毅に付き従ってきたことについて後悔はない。尊毅が斎公となり、臣下の礼を取っていることについても不満があるわけではない。ただ、泉国軍を迎撃するためとはいえ、兵力の分散を行ってしまったことについて多少の不安を感じていた。

 『主上……尊毅殿も戦略眼が曇り始めたか』

 以前の尊毅なら兵力分散の愚は冒さなかっただろう。吉野の囲みを一時的に解き、全軍をもって泉国軍を迎撃したのではないか。佐導甫は尊毅に命じられた時、そのように進言しようとしたが思い留まってしまった。何故思い留まってしまったのか、佐導甫は自分でも説明できない。あるいは、

 『このまま泉国軍に投降してしまおうか……』

 そのような邪な考えがないわけでもなかった。一方で泉公樹弘が卑怯な振る舞いを極端に嫌っているというのも風聞として知っていた。投降するにしても状況を選ばなければならなかった。

 だが、佐導甫の逡巡を泉国軍は待つことはなかった。先陣の李志望は武人として戦うに飢えていた。良き獲物である佐導甫軍を発見すると、猛然と襲い掛かった。

 「見よや!我らの武勇を!泉国に李志望軍ありと天下に思い知らせるのだ!」

 李志望の不満は配下の将兵にも伝染していた。自分達が佐導甫軍よりも寡兵であると知ってはいたが、彼らはまるで気にしていなかった。時として佐導甫軍を一方的に押し込む場面もあった。

 「泉国軍とはこれほど強いのか!」

 佐導甫は思わず叫んだ。勿論、佐導甫は知らない。今、自分達が相手しているのが、泉国軍の本軍ではないということを。堪らず一時後退した佐導甫軍は態勢を立て直して李志望軍を迎撃する姿勢をみせた。だが、意表を突かれたのは李志望軍がすぐに攻めてこないことであった。李志望軍は泉国からの本軍と合流しており、佐導甫軍を殲滅する準備を始めていた。

 「これでこちらの方が数が多くなりました。明日、包囲戦を仕掛けましょう」

 劉六の進言に樹弘は頷いた。日中、猛攻を加えていた李志望軍を後に下げ、文可達と相宗如の部隊を大きく広げて佐導甫軍を包囲する陣を敷いた。

 翌朝、泉国軍は佐導甫軍に攻撃を仕掛けた。佐導甫は驚倒した。

 「いつの間に包囲されていたのだ」

 数日、李志望軍が攻撃して来なかったので油断はしていた。しかし、いつの間にか泉国軍が合流し、夜間の間に包囲陣を敷いているとは思ってもいなかった。

 「泉国軍とは化け物か!」

 夜間に軍を移動するのは至難であるし、避けねばならない。泉国軍は平然とそれをやってのけたのである。軍隊としての質が格違いであることを佐導甫は思い知らされた。

 佐導甫はひとまず迎撃を命じたが、すぐに各戦線で悲鳴のような救援要請が本陣にもたらされた。

 『そろそろ限界か……』

 存分に戦った後なら泉公も認めてくれるのではないか。佐導甫は白旗を掲げさせ、泉公に降伏の使者を出した。

 「白旗だと?」

 まさか降伏はしまいと思っていた樹弘は驚いた。間を置かずして降伏の使者が来たので、佐導甫の降伏は間違いなかろうと思われた。

 「偽計かもしれません。尊毅は界公を使って静公を暗殺しました。佐導甫も似たような真似をするかもしれません」

 相宗如が樹弘に代わって自分が会うと進言してきた。

 「主上、そもそも降伏を受け入れるおつもりですか?」

 当然のように降伏を受け入れるつもりでいた樹弘にとって、劉六の言葉は意外であった。

 「勿論だ。降伏しようとしている者を退けて戦いを続行するわけにはいかないだろう」

 「主上のお考えは尊いものですが、相将軍が言ったように詐術の可能性もあります。それに降伏した佐導甫とその軍勢をどう扱うおつもりで。まだ尊毅との決戦が控えている今、降伏した軍勢はお荷物でしかありません」

 劉六の言うことにも一理あると樹弘は思った。樹弘からすれば、降伏を受け入れないという選択肢はなかったが、だからといって尊毅に追従してきた佐導甫を無条件で許すということに抵抗を感じていたところであった。

 「では、どうすればいい?」

 「降伏は受け入れましょう。将兵は武器を置いて故国に帰ることを条件に解散させ、佐導甫は降将として泉春に後送しましょう」

 佐導甫が受け入れればの話ですが、と劉六は人をやって降伏条件を伝えた。佐導甫にとっては予測していなかった降伏条件であった。樹弘は、泉国を平定した時には相宗如のような敵の一族すらも許し、すぐに戦線に加えていた。だから自分についても、同様かそれ以上の待遇が待っていると佐導甫は思っていた。しかし、示された降伏の条件は実に素っ気ないものであった。

 「条件は受け入れましょう。しかし、泉公にぜひお目通り願い……」

 このままでは単なる降将として扱われ、強者に阿諛追従してきた情けない武人として歴史に名を遺してしまう。それだけは避けたかった。

 「無用です。主上はお会いになりません」

 泉国の使者は淡白に応えた。佐導甫はがっくりと肩を落とし、そのまま拘束された。

 その後の佐導甫は、最低限の厚遇を受けて泉国で数年過ごした後、恩赦をもって解放されたが、斎国に戻ることなく、姿を消すことになった。

 

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