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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
506/963

蒼天の雲~53~

 静公死す。

 その報の大きさは、翼公―楽乗の死よりも中原を震わせた。しかも、その死因が界公による誅殺であると知ると、各国国主は言葉を失うばかりであった。

 樹弘もその一人であり、情報を仕入れてきた無宇を前にして、しばらく呆然と立ち尽くしていた。

 「間違いではないのか」

 樹弘は何度も無宇に問うた。その度に無宇は感情を殺した声で間違いありませんと答えた。

 「界公は静公が義王に対して無礼があったとして誅殺したと申しております。が、真相は分かりません」

 さらに数日後、無宇の配下が続報をもたらした。静公の遺体は吉野に送られたが、その混乱に乗ずるようにして尊毅が静国に軍を入れたのだという。

 「主上、静公謀殺の裏には尊毅がいるのは明確です。静国丞相の比無忌は胆力に富んだ男ですが、主を失って落胆した今、尊毅軍を撃退することは難しいでしょう。静国を救援すべきです」

 提言したのは甲朱関であった。彼は静公とは知己である。表面的には気丈であるが、静公を失ったことに一番の衝撃を受けているのは間違いなく甲朱関であろう。

 その心情を理解している樹弘であり、彼もまた静公には大きな恩があった。

 しかし、翼国で楽隋が追われた時のように、樹弘は即断しなかった。理由はいくつかあった。

 ひとつの理由は静公を誅殺した相手が界公であるということだった。樹弘が義王と界公の権威に感じていなくても、中原全体ではやはりまだ権威の高い存在である。いくら背後に尊毅の存在があったとしても、ここで静国の救援に向かうというのは、明確に義王と界公に楯突くということであり、中原で古来から続く秩序への挑戦でもあった。

 それにもうひとつ。実は公妃である樹朱麗が産気づき、出産が間近になっていた。そのような状況下で、樹朱麗の心労を増すような行動をできれば起こしたくなかった。

 樹弘は今しばらくの情報収集を命じつつ、明確な判断を先送りした。何事にも果断な樹弘にしては珍しいことであった。

 「あなたは悩んでおられるのですか?顔色が悪いようですが」

 ある日、樹弘が樹朱麗の様子を見に行くと、逆に心配されてしまった。樹朱麗にはここ最近、政治向きな話をしないようにしていたのだが、やはり知られていたらしい。

 「誰から聞いた?」

 「丞相です。ですが、責めないでください。朱関は朱関で悩んでいるのです」

 「そうだな。口では悪態をついていたが、朱関にとって静公は友に等しい存在だからな」

 甲朱関の本音で言えば、すぐさま静国へと駆け出したいだろう。しかし、泉国の丞相として自制しているのは明らかであった。

 「僕も本音からするとすぐにでも出陣して静公の敵を討ちたい。でも、尊毅の背後に界公と義王がいるとなれば、どうにも躊躇ってしまう」

 「ふふ、あなたがそこまで権威に心酔しているとは思っていませんでした」

 「僕は義王の権威なんてありがたく思ったことないよ。でも僕個人はそうであっても、中原の民衆がどう思うかだ。僕の軽率な行動によって僕個人が批判されるのはいい。しかし、泉国の国民までもが不正義の象徴とされてしまうわけにはいかない」

 「その言い方、まるで尊毅と戦って負けるはずがないと思っておいでですか?」

 「うん。勝つ自信はあるよ」

 文可達など歴戦の将軍だけではなく、、今や国軍の頭脳と言うべき劉六がいる。丞相である甲朱関がいれば後顧の憂いなく戦うことができるし、何よりも精強な将兵がいる。彼らを信じ切っている樹弘からすると、負けるはずがないという自信があった。

 「その自信がおありなら大丈夫かと思います。あなた、ご存じですか?今、各地の募兵所には多くの若者が詰め掛けているのですよ」

 泉国では国軍を整備するにあたり、兵役の他に志願による募兵も行っていた。志願し合格すれば、個人に課される税が免除されることになっていた。

 「知っている。今は志願兵の募兵はしていないから、受け付けないようにしている」

 志願による募兵は戦時中にしか行わないということにしており、今は当然ながら募兵所は開かれていなかった。

 「彼らが何故募兵所に駆けつけていると思われますか?口々に言っているようですよ。我が主上こそ、中原の秩序を築かれるべきだ。そのお手伝いをしたいと」

 「僕が中原の新しい秩序?」

 要するに覇者となれ、ということだろうか。もとよりそのようなつもりのない樹弘は、戸惑いを感じた。

 「我が国の多くの人々は、あなたが主上になったことによって良き生活を送れるようになりました。それはかつて伯と呼ばれていた国の民衆も同様です。その良き生活を得た彼らはこう思っているのです。他の国の人にも、中原の人にもそうなって欲しいと。それに、ここで手をこまねき、不正義を見逃しているあなたことを喜ぶ国民がいるでしょうか」

 樹朱麗の言葉には重みがあった。彼女の口を通して国民の声が聞こえてくるようであった。

 「もうすぐ出産する君を置いていくことになるよ」

 「大丈夫です。あなたがいないのは寂しいですが、一人ではありません。僑秋さんがいますし、蒼葉も黄鈴もいます。ご心配なさらないでください。あなたが帰ってくる頃には元気な子を生んでおきます」

 「やっぱり朱麗には敵わないな」

 樹弘は決意した。今、ここで中原のために立つことこそが、これまで樹弘に関わってきたすべての人々のためではないのか、と思えた。

 樹弘は翌日、静国救援のために兵を挙げることを宣言した。

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