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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
498/959

蒼天の雲~45~

 その日の夜。尊毅は戦場からそれほど遠くない邑で源慈と密会していた。わずかな供回りを連れてやってきた源慈は古風な老将といった風貌を持っており、詐術をしかけるような武人には見えなかった。

 「この度は斎公にこのような機会を与えていただき、まことにありがとうございます」

 源慈は実に慇懃であった。尊毅は気分を良くした。

 「ふむ。仔細は捕虜より聞いたが、静公が病とは事実か?」

 「事実です。ということは比無忌の専横のこともご存じで?」

 尊毅は頷いた。瞬間、源慈は顔を真っ赤にした。

 「あの男、主上の寵愛を良いことに国権をほしいままにしております。心ある臣は嘆き悲しみ、なんとかして比無忌を排除しようと考えておりますが、比無忌は我らの動きを察したのか早々に戦場に送り出したのです」

 源慈は顔を真っ赤にしたまま涙を流していた。その涙に嘘偽りはないだろうし、話す言葉にも整合性が見て取れた。

 「もし将軍がそのつもりであるならば、俺が静国を悪臣から解放してやってもよいぞ」

 「もとよりそのつもりで参りました」

 「殊勝なことだ。しかし、失礼ながら将軍の仰ることを全面的に信用するわけにはいかない。何か担保が欲しい」

 尊毅にそう言われることも想定していたのか、源慈は静国の地図を差し出した。

 「我らは翌朝に退却いたします。敗れたふりをして吉野に戻り、斎公の来援をお待ちいたします。それとこれより北に行き、河を渡った先に兵糧庫がございます。私の息がかかった所ですので、存分にお使いください」

 おくびにも出さなかったが、兵糧については喉から手が出るほど欲しかった。実のところ、静国に入ってから補給がままならず、各所で略奪などをして糊口をしのいでいた。だから兵糧の提供はありがたい話であった。尊毅は黙って源慈が差し出した地図を手元に引き寄せた。

 「では、吉野で会おう」

 「畏れながらその前に一言言質をいただきたいのです。我らが憎きと思っているのは比無忌です。ぜひとも主上のつきましては寛大なご処理をお願いいたします」

 「勿論だ。俺は征服者のつもりはない」

 どちらにしろ静公が病床で臥せっているとなれば先は長くないだろう。黙っていてもやがて静国が転がり込んでくる。尊毅は器の大きい所を見せつけるようにして源慈の申し出を応諾した。


 翌朝、源慈軍は整然と撤退していった。

 「律儀なことだ」

 あるいはこちらを油断させておいて攻撃してくるのではと尊毅は懸念していたが、それは杞憂で終わった。

 「一応追尾させますか?」

 「そうだな……」

 副官に促され、五十名ほどの部隊を編成して源慈軍を監視させることにした。尊毅の中ではそんなことよりも早く兵糧を手にしたかった。

 尊毅軍は北上した。目指すは兵糧であり、それを求める尊毅軍は飢えた虎狼のようであった。

 「源慈軍が寝返り、兵糧を与えてくれたらしい」

 「全将兵がたらふくに食えるだけの米があるそうだ」

 「ここ数日、薄粥が続いていたからな。久しぶりに堅い米が食える!」

 尊毅軍の将兵達は喜び勇み進軍していった。数日後、源慈の言っていた河川が見えてきた。

 「随分と大きな河だな」

 「少し南に行くと橋が架けられています」

 「以前ならば戦場に近い橋などはすべて落としていたものだが、国主が病になるとこうも緩むものか」

 尊毅は迷いなく全軍を渡河させた。それからさらに数日行くと、源慈の言っていた兵糧庫を発見した。

 「地図のとおりですな」

 「うむ。輜重部隊を先行させろ。しっかり管理させないと兵士達の間で取り合いになる」

 兵糧庫には警備する兵士もいなかったので、兵糧管理をしている輜重部隊を先に兵糧庫に入れた。どれだけの食糧があるかを把握して、分配を考えなければならない。

 「もう夕食の時間です。これからも戦いは続きましょうが、今日ぐらいは兵士達にたらふく食べさせてもよろしいのではないでしょうか」

 「そうだな」

 副官の進言に小さく頷いた尊毅のもとに輜重部隊の兵士が駆けつけてきた。

 「主上!兵糧庫には何もありません」

 「何?」

 「倉庫の中には米粒ひとつありません。完全な空です」

 尊毅ははっとした。ようやく自分達が完全に罠に嵌められたことに気が付いた。しかし、すでに時遅しであった。尊毅軍の周囲にはいつの間にか静国の軍旗が甍のように棚引いていた。


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