蒼天の雲~41~
広鳳を発った樹弘は、途中まで譜天、馬求と同行した。わずかな日数であったが、樹弘は毎夜、両将軍を招いてささやかな酒宴で労った。
「そういえば、泉国軍が楽隋軍を敗走させた手並み、実に見事なものでした。あれは泉公が考えられたものですか?」
ある夜、譜天がまるで思い出したかのように尋ねた。実は以前より楽隋軍に勝った一連の戦について興味があり、人伝にいろいろと情報を仕入れていた。その情報を総合して検討した譜天は、この戦を演出した者が尋常ならざる人物であると判断した。
『全てが計算しつくされた戦略戦術だ。戦場に立つ者はその者が書いた脚本通りに舞台で演じているようなものだ』
そのような芸当ができる人物は、譜天が知る限り甲朱関しかない。しかし、甲朱関は丞相として泉国に残っているはずである。甲朱関の薫陶を受けた樹弘が発案したのではないかと思えたのである。
「いや、僕はそういうのは下手だからね。朱関は丞相として国から動かせないから、別の軍師を連れてきた」
樹弘は傍に控えていた景弱に耳打ちをした。数度頷いた景弱が出て行ってしばらくすると一人の男を連れて帰ってきた。
「紹介するよ。劉六という。今回、軍師をお願いした」
劉六と呼ばれた男は愛想もなくお辞儀をしただけで席に座ってしまった。武人らしくない線の細い体つきで、まるで学者のようだと譜天は思った。
「主上、私はこういう場はお断りしたはずですが……」
「そう言うなよ。天下の譜天将軍のお召しだ。先生も、譜天将軍のことは気にかけていたじゃないですか」
「ほう」
譜天は俄然劉六に興味が湧いてきた。あの泉公が先生と呼ぶ男である。しかもあの戦を仕掛けた人物となると、武人として興味を持たないわけにはいかなかった。
「譜天です」
「劉六です」
お互い愛想のない挨拶を交わした。樹弘の計らいにより、劉六は譜天の隣に坐した。最初はぎこちない会話をしていたが、酒が入ると次第に打ち解けていった。劉六は楽隋との戦いにおける作戦について包み隠さず譜天に語った。譜天は感心しつつも、劉六という異才に恐ろしさすら感じていた。
『この男は私や龍公とはまた違う型を持っている』
譜天や龍公―青籍は常に前線に立ち、実際に戦場の空気を感じながらそれに合わせて臨機応変に最適な行動を取る型で、これはどちらかと言うと戦術家の領分である。ところが劉六は事前に敵の動きを予測し、それに合わせて味方を動かしているだけなのである。これは戦略家の領分であろう。しかも、その予測がすべて的中させてしまっている。
「いや、それは違いますよ、将軍。今回の戦いでも敵陣は思っていたよりも乱れておりました。特に斎国軍と楽隋軍の間隙は大きく、これは私の予想の外にありました。それを見抜き、適切に処置した田員将軍の功績です」
劉六は謙遜しているのか自己の功績として語らなかったが、結果として劉六の思うように戦況は進んだのである。また彼が斎国において立案指揮した作戦についても、同様のことが言えた。劉六は戦が始まる前に勝利を得るための計算を終えており、後はそれをいかに実行するかだけのことなのである。
『こういう男を敵にするといつの間にか術中に嵌って、気が付けば負けている。敵対するのは避けた方がいい男だ』
劉六という異才が泉公の陣中にあることを譜天は密かに安堵していた。
翌日、樹弘達は譜天、馬求達と別れて、東へと向かった。両将は西へ向かい、陸路帰ることになった。
「どうでしたか、先生。噂に名高い譜天将軍は?」
樹弘は劉六を自分の馬車に招き、譜天という将軍についての感想を求めた。
「戦の天才と言うべき良将だと思います。それでも驕ることなく、主君には忠実で、部下に対しては公平です。極国が現在の地位にあるのは譜天将軍によるところが多いでしょう」
「べた褒めだな」
樹弘も同じ感想を持った。譜天もまた尋常ならざる才能の持ち主であることには間違いなかった。
「譜天将軍んは単なる戦術家ではない。龍国との戦争の最中、潮目を見て先代翼公に和議の仲介を頼んだのは譜天将軍らしい。彼は目先の戦場だけではなく、後方の政局も正しく把握している。今でこそ将軍だが、相となっても彼はその任務をこなすであろう」
「主上もべた褒めですね」
「今回のことでもそうだ。功に逸る武人なら、楽隋軍を討とうとしただろう。しかし、状況を冷静に分析し、広鳳へと進軍した。その結果、譜天将軍達は華々しい戦果を得られなかったが、楽隋が広鳳に籠城することを防いで戦いを短期間で終わらせた。その判断は見事としか言いようがない」
譜天がそのような判断を下したのは、楽隋と相手するのが泉公だったからではないか、と劉六は思ったが、無用なことと思い口にはしなかった。




