蒼天の雲~40~
その晩、楽清は樹弘と譜天、馬求に対してささやかながら宴席を用意してもてなした。しかし、自身については服喪中を理由に参加せず、羽兄弟に接待を任せていた。
「私は明日からまた霊廟に入る。服喪中の政務は胡旦に任せる故、くれぐれも頼む」
楽清は胡旦だけを私室に呼び、一献だけ酒を振舞った。
「はっ。謹んでお受けしますが、服喪に入る前にひとつだけやっていただかなければならぬことがあります」
「何か?」
「楽隋の処分です」
楽清は深く呼吸した。確かにこればかりは楽清が決断を下さねばならなかった。楽隋は捕らえられ、地下牢に繋がれていた。
「それについては色々考えたが、決断できずにいる」
謀反人ならば死罪は当然であった。しかし、楽隋は罪を犯したとはいえ楽家の人間である。本当に死罪にするべきかどうか。死罪にするにしても自裁を進めるのか、縊死されるのか、斬首にするのか。そこまでも楽清が判定しなければならなかった。
「父ならどうしたか、とずっと考えてきた。しかし……」
「清様、いえ、主上。主上が先代の遺徳を忍び、倣おうとするのは良きことでありましょう。しかし、先代ー乗様はもうおられないのです。この国の主は清様なのです。主上がどうお考えになるか。それを民に知らせる時に来ているのです」
楽清は頷いた。胡旦の言葉が身に染みていくようであった。
「確かにその通りだ。私が処断せねば禍根を残すことになるだろう」
楽清はしばらく考えてから処分内容を決めた。
「楽隋は斬首とする。ただし梟首は無用。遺骸は丁重に葬ること。死罪は楽隋一人とし、親族と彼に与した重臣達は庶人に落とした後に広鳳から追放とする」
謀反人を極刑に処すものの、死後の名誉は守る。良き判断でございます、と胡旦は恭しく拝手した。
「楽隋のことはこれで終わりとして、胡旦に聞きたいことがある」
「何でございましょう」
「実は父上の霊廟で楽隋に襲われた時、助けてくれた老人がいた。過去、父上に世話になったと言っていたが、胡旦に覚えがあるか?」
ぜひ改めて礼がしたい、と楽隋への処分を言い渡した時よりも強い熱量で語った。
「老人でございますか?」
「うん。自分のことを山野の魂魄の化身と言っていた。泉公は功利を求めていない人だと言っていたが、やはりちゃんと礼をしたい」
「主上。それは本当に山野の神霊かもしれません。あるいは先代が遣わしてくれたのかもしれません」
そういうことになさいません、と胡旦が言ったので、楽清もそれ以上老人のことを口にしないようになった。
翌朝、早速帰国することになった樹弘は、楽乗が眠る霊廟の前で跪き、額を地につけて弔意を表した。龍公と極公の代理人である譜天と馬求も、樹弘の遥か後方で同じ所作をしていた。
「服喪中の我が主に代わり改めて礼を申し上げます、泉公。先代は翼国に何事かあれば泉公を頼れと申しておりましたが、まさしくそのとおりとなってしまいました」
樹弘が一連の所作を終えると、胡旦が話しかけてきた。楽隋によって軟禁されていたせいか、少しやつれているように見えた。
「先代翼公は僕のことを買ってくださっていた。それに少しでも応えることができたのなら嬉しいです」
「十分でありましょう」
「胡旦殿、いずれ大葬も行われましょう。それまでご健勝で」
「ありがとうございます。しかし、喪が明けて主上の朝政が始まれば、私は引退するつもりでいます」
あるいは胡旦がそのようなことを言い出すのではないか、という予感が樹弘にはあった。胡旦は今回の変事について、誰よりも責任を感じているはずだった。
「それはまだお早いのではないですか?」
楽清が安定して政治を見られるようになるまでしばらく時間を要するだろう。それまでに彼を支える賢臣は一人でも多い方がいいはずである。
「今回の騒動で羽兄弟はよく働いてくれました。彼らなら主上を十分に補佐していけるでしょう。それに泉公を見ておりますと、私と乗様の時代は終わったのだと思いましてな」
世代交代ということであろうか。確かに泉国でも樹弘を支えてきた甲元亀、備峰の二人が官界から去っている。あるいは中原そのものがそういう時機に来ているのかもしれなかった。
「泉公、これからも我が主をよろしくお願いいたします」
「とんでもない。こちらこそ翼国に力をお借りすることがあるでしょう。その時はぜひに」
勿論でございます、と胡旦は丁寧に拝手した。樹弘も学ぶべき点が多い老臣に敬意を表して返礼した。




