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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
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蒼天の雲~29~

 楽清は宮殿奥にある霊廟で楽乗の遺体の前で正座していた。翼国に伝わる礼法では、国主の跡を継ぐ者は霊廟に入って一か月は、前国主の遺体の前で過ごさねばならない。

 しかし、この古式ゆかしく礼法を実現した者はほとんどいないと言われている。楽玄紹が亡くなった時、楽伝はこの礼法で服喪をしなかった。それ以前でも行ったという記録はない。楽清はおそらく史上初めて古式に乗っ取った服喪を実現しようとしていた。

 「私にはそれしかできない」

 自らを非才であると思っている楽清は、自分が新しき国主であることを示すにはそれ以外の方法しかないと考えていた。

 静かな空間であった。楽清の息を飲む音すらも響く中、霊廟の外から喧騒が楽清の耳に届いた。

 「何事か……」

 楽清は不快に思った。まだ霊廟に入って一日も立っていない。故人を悲しむ静謐を乱す不謹慎な者がこの翼国にいることが不愉快であった。

 それでも楽乗が不動でいると、複数の足音が霊廟の中に響いた。流石に立ち上がった楽清の周りを兵士達が取り囲んだ。その中に抜き身の剣を手にした楽隋の姿を見つけた楽清は、発生している事態の大よそを察した。

 「摂伯……。亡き翼公の御前です。武器はお慎みください」

 「ふん。この状況でよくも冷静なものだな」

 楽隋は剣を鞘に納めた。

 「楽清、ここで拘禁させてもらう。素直に国主の座を私に譲れば、命は助けてやるぞ」

 「私は自分が国主に相応しいとは思っていない。しかし、亡き父より翼公を受け継いだ以上、簡単に譲るわけにはいかない」

 思いのほか強情だな、と言った楽清は再び剣を鞘から抜いた。

 「父の跡を追って自裁したとなれば、さらに孝行者として名を遺すだろう。お前としては国主になるよりもそちらの方がよかろう」

 本望であろう、と楽隋が勝ち誇った顔をして切っ先を楽清に向けた。その時であった。また別の足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。

 「何者だ!入るなと言ったはずだ」

 楽隋がそう言ったからには楽隋側の人間ではないのだろう。足音が止まった。

 「いけませんな。ここは霊廟。入ることができるのは国主一族と決められているはずですぞ」

 しわがれた男の声であった。声の方に目を向けると、襤褸を纏い、木の棒を杖のようにして持っている老人が立っていた。老人ではあったが、精悍な顔をしており、体躯は堂々たるものがあった。楽清の知らぬ老人であった。

 「何者か!」

 楽隋も知らぬらしい。老人はゆったりとした歩幅でこちらに近づいてきた。

 「何者でもいいではないか。強いていうのならば山野の魂魄の化身というところかな。私はただ、楽乗様に別れを言いに来たのだが……」

 「近づくな!やれ!」

 楽隋が兵士に命じた。一人の兵士が剣を抜いて斬りかかろうとすると、老人は目にも止まらぬ速さで棒を振るい、斬りかかってきた兵士の腹を棒で突いた。潰れるような声を出した兵士は、ぐったりと地面に倒れて悶絶した。

 「いけませんな、霊廟を血で汚そうとしては。ここは楽乗様だけではなく、代々の翼公が眠る場所。血で汚せば、祟られますぞ」

 「やかましい!かかれ!」

 今度は残った兵士達が一気に老人に襲いかかった。しかし、老人は軽やかに棒を振り回し、瞬く間に兵士達を地面に這いつくばらせた。その強さはまさに圧巻であった。

 「き、きえええ」

 恐怖の声を上げた楽隋が斬りかかってきた。当然ながらこの老人の敵ではなく、楽隋は鳩尾を突かれて情けなく倒れた。

 「このような人物が楽氏の端にいたとは……。乗様も浮かばれまい」

 老人は悲し気に呟いた。

 「ありがとうございます。あ、あなたは、一体……」

 楽清は改めて老人を見た。しっかりとした体格をしているということを除けば普通の老人であった。

 「清様が気になさることはありません。昔、乗様にお世話になったものです。そんなことよりもさて……」

 老人は楽清の手を取って霊廟の外に誘った。

 「あ、あの……私は服喪の儀式を……」

 「それも大切でありましょうが、今は清様が生き延びられることの方が先決です」

 その方が乗様のためです、と老人は言った。

 霊廟の外に出ると、周囲が騒がしかった。普段の宮殿とまるで異なっていた。

 「これは……」

 「楽隋が斎国と結んでいたんですよ。斎国の軍が攻めてきたのです」

 「そんな……国境の部隊は何をしていたんだ……」

 「おそらくは楽隋が手をまわしていたのでしょう」

 「摂伯はそこまで……。そこまでして国主の座が欲しいのか」

 「今は急ぎましょう。矜持亡き者の思惑など成就しません。遠方から眺めていればいずれ自壊いたします」

 急ぎましょう、と再び促し、楽清は老人と共に広鳳を脱出した。

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