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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
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蒼天の雲~28~

 翼公―楽乗の死を待ちに待っていた男がいた。楽隋である。彼は現在、摂という邑に住んでおり、楽家の一員として一定の礼節をもって遇されていたが、厚遇もされていなかった。楽隋からすると冷遇に等しく、楽家の人間としてずっと大望を抱いてきた楽隋にとっては、まさに一世一代の好機であった。

 「あの老い耄れが死んだか!」

 楽隋とて若くはない。すでに老齢という領域に差し掛かろうとしていた。楽隋が大望を果たすとすれば最後の好機であった。

 これまで何度も楽乗に代わり、自分が翼国も国主となることを夢想してきた。しかし、それを夢想する段階で終わってきたのは、ひとえに楽乗の巨大さであった。国主としての才幹と人望の豊かさは比類なきものがあり、楽隋からすると楽乗はまさに頭上にある重石であった。その重石が消えたのである。

 そもそも楽隋はそれほどの野心家ではなかった。祖父である楽成が楽玄紹とその子孫達を国主として推戴していたように、主筋を立てることこそが楽成から続く使命であると思っていた。

 しかし、そんな楽隋が変わったのは皮肉にも楽乗が長年に渡る放浪から帰ってきた時であった。楽隋は楽乗の帰還に際し、楽宣施軍をかく乱するなど多少の働きをした。楽乗から賛辞と報奨があると期待していたのだが、対面した楽乗は不快そうな顔で、

 『汝、成殿の孫にしてこれまで何をしていたか』

 と言い放った。以来、楽隋は楽乗を激しく憎むようになり、いつしか自分が取って代わろうという密かな野心だけを抱き続けてきた。

 「幸いにして斎国を牛耳っている尊毅が協力してくれるという。奴には奴の思惑があるだろうが、最大限に利用させてもらおう」

 楽隋に国主になりたいという一心しかなく、倫理観などなかった。表向き弔問ために広鳳へと出発すると同時に、国境付近に控えている斎国軍にも伝令を飛ばしていた。


 広鳳は悲しみに包まれていた。多くの翼国国民にとって楽乗は誇るべき英雄、称えるべき名君であった。その偉大な国主を失って悲しまない者は翼国の国民とはいえず、翼国は大きな光を失ったも同然であった。

 最も悲しみの淵にいたのは楽清であった。楽清は自分が凡庸であるということを百も承知しており、楽乗という大きな太陽を眩しく思いながら眺めていた。

 『とても父のようにはできまい』

 父である楽乗は偉大であり、巨大であった。それ故に喪失感は大きく、これからの不安と相まって、楽清は悲しみに埋没するしかなかった。

 「せめて父の徳を忍ばなければならない。私は一年間服喪に入る。政務は胡旦に代行させ、各国への使者は羽敏と羽綜に任せたい」

 楽清が最初に出した命令がそれであった。印璽を胡旦に預けると、楽清は霊廟へと入った。楽隋が広鳳に到着したのは、ちょうどそのような時であった。

 

 広鳳に到着した楽隋は宮殿に入り、楽清への面会と楽乗の遺体への対面を求めた。

 「それは叶いません。すでに楽乗様のお体は霊廟に入り、楽清様は服喪に入られました。大葬の儀までは面会はできません」

 それが翼国の葬送の礼です、と応対に出た胡旦が告げた。楽隋は怒ってみせた。

 「私は楽家に人間であるぞ!新しき主上に会えず、偉大なる翼公と最期の別れもさせないとは無礼ではないのか!」

 「いくら楽隋様でも古式を曲げることはできません。それが亡くなった翼公への礼でありましょう」

 「おのれ!」

 楽隋は本当に怒りを感じた。もう少し周到に事を進めるつもりであったが、我慢ならなかった。楽隋は一度引き下がると、今度は数十名の兵士を引き連れて宮殿に押し掛けてきた。門兵は相手が楽家の者なので無理に制止できず通してしまうと、そのまま胡旦の執務室になだれ込み、胡旦を拘禁してしまった。

 「前々から貴様が気に食わなかったのだ」

 楽隋は縛り上げられた胡旦を見下ろし、唾を吐きつけた。

 「愚かなことだ。私に牙を剥いても益など何もないぞ」

 「ふん。貴様なんぞどうでもいい。すぐにでも首を刎ねてやりたいが、服喪中の宮殿を地で汚すわけにはいかんからな」

 楽隋はそう言いながらも、実は世間的な批判を恐れていた。胡旦も楽乗に負けず劣らず翼国の国民から人気がある。ここで斬れば非難の目に晒されるのは必至であったため、楽隋は胡旦を拘束で留めてしまった。

 「いずれ貴様を公然で処刑してやる。その前に楽清の身柄を押さえるのだ」

 楽隋は兵士達に命じた。胡旦は何も言わず冷えた目で楽隋を見ていた。

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