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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
475/958

蒼天の雲~22~

 戦が始まる。

 少洪覇が坂淵から出撃したきたことを知った尊夏燐は歓喜した。これで少洪覇と決戦ができる。斥候を広く出してさらに情報を集めていた尊夏燐は、近辺の地図を眺めながら勇壮な戦略を練っていたが、それを邪魔するような不愉快な報告が慶師からもたらされた。

 『項泰が尊毅に讒言し、問責の使者を遣わした』

 それは慶師に残してきた配下からの情報であった。目の前の敵に集中したい不快感を隠さなかった。

 「今は戦中だ。使者が来ても待ってもらえ」

 「しかし、それでは殿の心中を悪くするかもしれません」

 尊夏燐に進言した副官は、彼女の傳役でもあった。そのため尊夏燐の気性も、尊毅の思考も、そして項兄弟の本性も把握していた。

 「殿はああ見えて猜疑の強いお方です。ましてや項兄弟は謀略をもって斎興を貶めたことがあります。ここは素直にご使者を迎え、弁明すべきです」

 「私が項兄弟のあらぬ讒言のために、必要のない釈明をしなければならないのか?馬鹿馬鹿しい、私と兄上の仲だぞ」

 ともかくも待ってもらえ、と尊夏燐は煩わしそうに言った。それから少洪覇との戦いが始まったので使者のことは失念してしまった。その間、尊毅の名代として派遣された激励の使者は、項兄弟の手の者によって殺害されていた。


 激励の使者が殺されたと知った尊毅は、流石に顔を青ざめさせた。無残に転がった骸を前にして血の気が引いていくのを感じていた。

 「本当に夏燐が斬ったのか?」

 「はい。夏燐将軍の陣に入り、案内を乞いましたが、戦闘中故会わぬと申されました。なので、大将軍の使者であると申し上げたのですが、挙句には敵の間者ではないかというあらぬ疑いをかけられ、そこにいる者が斬られ、我らは応戦しながら遺体を回収し、逃げてきたのです」

 使者に同行していた武人が涙ながらに語った。彼は項史直の家臣、即ち陪臣ながらも実直であると尊毅は知っている。嘘をつくとは思えなかった。

 「殿。これで夏燐様の反意は明らかです。速やかに討伐いたしましょう」

 項史直が尤もらしく進言した。この時の尊毅は我を失っていたと言っていい。平時の尊毅であるならば、項兄弟の謀略に気が付いたであろう。しかし、完全に理性が吹き飛んでいた尊毅は次第に怒りが込み上げてきた。

 『夏燐め!一体何が不満で叛くのか!』

 尊毅は尊夏燐を討伐することを決意した。しかし、困ったことがあった。尊家が抱えている私兵の半数以上が尊夏燐の下にあった。尊毅が独断で動かせる兵数は二千名にも満たない。

 『斎公より勅許を貰い他の諸侯の兵を動員するしかない』

 謂わば尊家内部の私闘に過ぎない出陣になるのだが、尊毅には躊躇いがなかった。すでに尊毅には斎国を私物化する傾向にあった。

 尊毅は早速に朝議を開かさせ、尊夏燐討伐の軍を出陣させることを進言した。当然、今の斎公―斎策は傀儡であり、坊忠や覚然なども尊毅に反論できる意気地などあろうはずがなかった。尊毅はそう高を括っていた。しかし、

 「これは尊家内部の私戦ではないのか?勅許をもって国軍を編成するような事例ではないのではないか?」

 斎策はおっとりとした口調で言った。尊毅は一瞬はっとさせられた。斎策とはそのようなことを言える男であったのかと認識を改める必要があるように感じられた。

 「尊夏燐は勅命をもって少洪覇征伐に赴いております。それが激励の使者を斬ったとなれば、主上に対する叛意は明確でありましょう」

 尊毅は我ながら馬鹿らしくなるほど必死になって抗弁した。

 「しかし、余は激励の使者など送るように命じてはおらぬぞ」

 確かに激励の使者は尊毅の権限で送ったに過ぎない。それでも大将軍の地位にある者が命じた使者ならば、それは即ち斎公の使者も同然ではないか。尊毅はそう主張したかったが、言葉を飲み込んだ。弁舌で必死になればなるほど自分が哀れになるように思えてきたのだ。

 「左様ではありますが、このままでは少洪覇討伐も思うままになりませぬ」

 「賊徒討伐に向かった軍を討伐するとは本末転倒ですな」

 覚然が呟いた。尊毅は睨み据えたので、覚然は視線をそらした。

 「ともあれ、いち家臣内部の私戦について勅許を出していいのかどうか判断がつかぬな。丞相、過去の文献でそのような先例があるかどうか調べるように。判断はそれからだ」

 何事も先例が肝要よ、と呟いて斎策は退出していった。尊毅は容易ならぬ男を傀儡の座に据えてしまったことにようやく気が付いた。

 結局尊毅は、佐導甫、赤崔心など尊毅に忠誠を寄せる者の兵力を借りることで尊夏燐討伐軍を組織し、自ら大将として西進することになった。


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