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七国春秋  作者: 弥生遼
蒼天の雲
455/963

蒼天の雲~2~

 寝室に運ばれた樹朱麗は、寝台に寝かされた。しばらくして落ち着いた様子であったが、顔色は相変わらず悪かった。

 診察してくれたのは劉六であった。泉春で診療所を開く劉六は、泉国の医療行政の仕事を手伝う傍らで、稀に本職の医者としても泉春宮に出入りしていた。

 樹弘は診察の間、外の廊下でじっと待っていた。樹弘の知る限り、樹朱麗という女性は病気や怪我とはまるで無縁の人であった。まだ景朱麗であった頃から鍛錬を欠かさず、それは丞相となっても公妃となっても同様であった。それだけに今回の事態はあまりにも想定外で、樹弘をひどく動揺させた。

 『僕が朱麗にずっと無理をさせていたのかもしれない……』

 樹弘は自責の念に駆られながら、必至に手を合わせて祈っていた。

 半刻ほど過ぎた。診察を終えて助手である僑秋を連れて出てきた。劉六という男は喜怒哀楽を表さないので、樹朱麗の容態がどうであったか判然としなかった。

 「劉六先生、朱麗はどうなのですか?どこか悪いのですか?」

 樹弘が問うと、劉六はちらっと僑秋を見た。僑秋はちょっとだけ笑って口を開いた。

 「悪いなんてとんでもありません。主上、公妃様はご懐妊されております」

 「懐妊?」

 樹弘がその言葉の意味を飲み込むのにしばらく時間を必要とした。しかし、その意味が分かると、思わず手を打って破顔した。

 「本当ですか?」

 「医者は嘘をつきませんよ。吐瀉されたのは所謂つわりです」

 劉六も少しばかり口角を崩していた。

 「そうか……よかった」

 「ただ公妃様は初産ですから気を配った方がよろしいでしょう。世話をする女官の数を増やしてください。それと定期的に僑秋に往診させます」

 「分かった。朱麗に会っても大丈夫かな?」

 「大丈夫ですよ」

 僑秋が言うと、樹弘は一礼して樹朱麗の眠る寝室に入っていった。とても一国の国主とは思えない動作に、僑秋は小さく笑った。

 「主上は素朴で素敵な方ですね。公妃様が羨ましい」

 「だからこそ泉公は名君でいられるのだ。さて、我らは引き上げよう」

 「はい。ところで先生。どうして私が往診することになったんですか?」

 「産科ということで言えば、君の方が経験豊富だ。実際に私よりも助産しているだろう」

 「まぁ、そうですが……」

 「これも経験さ。それに私はどうにも公妃様が苦手だ」

 「そうなんですか?」

 「気の強い女性は斎国の姫様と尊家の姫様で十分だよ」

 劉六の口からそのような女性感が聞けるとは思っていなかった僑秋は、少しだけ立ち止まってさきほどの劉六の言葉を反芻していた。

 「どうしたかね?」

 「いえ、先生の口からそのような言葉がでてくるというのはちょっと意外で……」

 「私だって男だよ。女性の好みの一つや二つはあるさ」

 先生の好みの女性をどういう女性ですか。僑秋としてはそれを訊ねる絶好の機会であったが、動揺してしまい何も言うことができなかった。


 樹弘が部屋に入ると、樹朱麗は上半身を起こして侍女が差し出す水を飲んでいた。先頃よりも血色がよくなっていた。

 「朱麗。その……劉六先生から聞いた。子供ができたんだってね。僕と朱麗の子供……。よかったよ、ありがとう」

 樹弘が樹朱麗の手を握った。それを見た侍女が静かに去っていった。

 「あなた……。正直申し上げて、私は年齢から考えて子供ができること諦めておりました。しかし、この国には世継ぎが必要です。ですから私はあなたに妾を持つことをおすすめしようと考えておりました」

 「朱麗、僕は……」

 「ですが、私はどうにもそれができませんでした。あなたが別の女性に取られてしまうようで、勇気を出せませんでした。だから私は、私は今、とても嬉しいんです」

 樹朱麗が樹弘の手を力強く握り返してきた。

 「僕も嬉しいよ。世継ぎとかそういうことじゃなくて、僕と朱麗の子供ができたというのが嬉しいんだ。男の子でもいいが、女の子でもいいな。別に女性の国主がいてもいいだろう。印国では実際に女性の国主なんだから」

 「あなた……ありがとうございます」

 樹朱麗は片手で樹子の手を握り、もう片方の手でお腹をさすった。彼女のお腹に中にいる胎児こそ、後に樹元秀と名乗ることになる。その才気と名声は父をしのぎ、中原において名君の中の名君と言われることになるのだが、それは遥か後の世の話であった。

 

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