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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
45/959

黄昏の泉~45~

 「まず我々は桃厘を支配下に置きます。これを田員殿と示し合わせて、古沃の暴発と同時に行います」

 甲朱関は地図を使って説明した。桃厘と古沃は南部でも主要な集落である。この二つを得れれば、橋頭堡としては十分なほどの地盤を確保できるのだと甲朱関は主張した。

 「主上。かねてより桃厘は相家に対して反発しており、相蓮子も手を拱いていました。私が先発して街の長老達を説きましょう」

 挙手をして発現したのは田碧であった。彼女は各地で情報を収集していただけに、そういう不満分子との接点も多いのだという。

 「田碧。儂も同行しよう。桃厘には知己も多い。何かと手助けできよう。よろしいですかな、主上」

 「勿論。田碧と元亀様は先行して桃厘に入り、街の長老達を説いてきて欲しい」

 「承知しました」

 甲元亀が深く叩頭した。

 「では、無宇は古沃に潜伏し、田員殿と示し合わせて民衆の蜂起を助けてください」

 「承知しました。朱関様」

 言い終るや否や、無宇は風のように去っていった。

 「朱関。桃厘と古沃を拠点とするのは分かったけど、そこから先はどうするのです?」

 樹弘は地図を眺めながら当然の疑問を呈した。桃厘と古沃を奪取したにしても、泉国のほんの一部を得たに過ぎない。そこから先の展望というものも知っておきたかった。

 「古沃にいる相季瑞は問題ではないでしょう。問題になるのは……」

 「相蓮子か」

 甲朱関の発言を受けて、景朱麗が続けた。

 「そうでしょうね。相蓮子は貴輝を拠点にしています。当面の敵は蓮子となるでしょう」

 甲朱関は地図の貴輝の地名の横に蓮子と書き込んだ。

 「相蓮子が握っている兵士の数は五千名と言われています。しかも、相蓮子は兵士からの人望もあり、戦の仕方もそつがないと聞きます」

 と言ったのは景蒼葉であった。

 「貴輝の街の規模からすると篭城されては厄介ですし、だからと言って野で決戦するにしても一筋縄ではいかないでしょう。まずは桃厘と古沃によって自力を蓄えるしかありません」

 甲朱関は展望を述べたが、樹弘の思念は別のところにあった。

 『相蓮子とは戦いたくない……』

 相蓮子は、景朱麗の存在に気がつきながらも見逃してくれたし、景政の居場所も教えてくれた。残忍な性格と言われているが根っからの悪人ではないと思っているし、恩義は返せねばと思っている。

 『しかし、それはこちらが対等な勢力を築き上げてからの話だけど……』

 まずは桃厘と古沃を得てからだ、と樹弘は思いなおした。


 大よその方針を決した樹弘は、その旨を静公に知らせた。静公も相淵の死を知っており、樹弘達の決意を大いに評価した。

 「こうもすぐに好機が訪れるとは泉公は運が良い。事がなったのも当然だろう」

 静公は賛辞だけではなく、武具や食料などの物資も提供してくれた。

 「ありがとうございます。このご恩は終生忘れません」

 「そうだな。いずれこの貸しが安かったと思わしてくれよ」

 静公の協力もあり、樹弘は一応の戦力を持つことができた。さらに吉野には相房の乱から逃れてきた泉国の民衆も多くあり、その者達が真主が立ったと聞いて集まりつつあった。

 その中に文可達という男がいた。かつて泉弁時代の禁軍にあって猛将と称された人物である。熊のような大男であり、樹弘の前で拝跪してもまだ文可達の方が大きいのではないと思えるほどであった。

 「静国に逃れて十五年。この日をどれほど待ち望んだことか。この生命を主上に差し出します。戦場において存分にお使いください」

 「う……うん。期待しています」

 樹弘は妙な気分になった。自分より遥か年長の、しかも体躯の大きい武将が自分の前で傅いている。これが権力かと思うと、その魔力に虞を抱いた。

 『僕の命令ひとつで人が死地に飛び込むことになる……』

 樹弘にはその自覚があり、自らに緊張を強いた。この姿勢は樹弘にとって終生のものとなり、後の彼の政治姿勢にも貫かれることになる。

 「そうそう。お名前についてはどうされますか?」

 出立の前日になって、景蒼葉が尋ねてきた。景蒼葉の役割は常に樹弘の傍にあって、故事や作法について助言する一方で、樹弘の命令や事績を書き留める書記官も務めることになっている。

 「名前?」

 「そうです。命令書や檄文を出すにしても主上の名前が必要となってきます。主上が泉家の人間であることはほぼ間違いないと思いますので、これを機会に泉弘と名乗ってもよろしいのではないでしょうか?」

 「真主は必ず泉の姓を名乗らないといけないのですか?」

 「そうとも限りません。現在の翼公は翼家の者ですが、臣籍に降下しているので楽と姓を持っていて、国主となってからも楽を名乗っています」

 それを聞いて樹弘は即断した。

 「ならば樹弘のままでいく。僕は泉家の者かもしれないが、母は樹夏という女性だ。そのことは大切にしたい」

 承知しました、と景蒼葉は言った。こうして公文書上は常に『泉公』と記されることになった。

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