泰平の階~127~
新莽が攻め方について懊悩としているの対し、佐導甫の戦略は一貫していた。
『この地点を確保して尊毅殿が来るのを待つのみ』
というものであった。佐導甫の軍勢は約千五百。新莽軍は三千名を超えるぐらいであろうか。いくら戦術的に優位な地点に陣取っているとはいえ、まともに戦えば劣勢になるのは必至であった。
『敵も少洪覇の大軍を待つようだが、尊毅殿が大富に到着する方が速いだろう』
少洪覇の領地は斎国の西の端である。大軍を率いるとなれば一か月以上はかかるだろう。これに対して栄倉にいる尊毅軍ならば、遅くとも一週間ほどで駆けつけることができる。
「いいか、敵の挑発に乗ってこちらから仕掛けるなよ。待てば待つほど我が軍の勝ちが揺るがないものとなるぞ」
佐導甫はそう言って将兵の軽挙を戒めた。佐導甫軍の将兵は自分達の主のことを心酔しているのでこの戒めはよく守られた。
しかし、数日過ぎると、佐導甫は動きを見せない新莽軍に不安を覚えるようになっていた。
『新莽には何か策があるのか?』
新莽も尊毅軍の方が先に来ることは承知しているはずである。それなのに攻めてこないというのは、何か考えがあるのではないかと邪推してしまったのである。
この疑心暗鬼が佐導甫の一貫した戦略に綻びを生じさせた。佐導甫は副官を呼び寄せ、
「新莽が動かぬのはあまりにも不気味だ。何か策があるのではないか?」
と疑問を投げかけた。副官も同じことを考えていたらしく、
「ひょっとすれば少氏か和氏の兵が近くにいるのではないでしょうか?彼らの合流を待っているのではないでしょうか?」
「そんな馬鹿な。少氏の領地は遥か西方。そう簡単に来れるわけがない」
と言いながらも、その疑念を捨てきることができなかった。
「広く斥候を出してみましょうか?」
副官の進言に佐導甫は了承した。このことが思いもよらぬ結果を招くことになった。
実は少洪覇の軍勢が想定よりも早くこちらに向かってきていたのである。少洪覇は先に項史直によって栄倉から追い出された時、そのまま藩都に戻らず藩境の槍置に軍を留めていたのである。
「このままで終わるはずがない。何か起こるであろう」
少洪覇はそう判断し、軍を解散しなかった。しばらくして尊毅討伐の綸旨がもたらされ、少洪覇は迷うことなく軍を進発させた。
「急げよ。新莽殿一人では苦戦するだろう。お助けするのだ」
少洪覇のこの動きは、想定されていた大富到着までの時間を半月ほど早めることになった。
少洪覇軍が思わぬ速さで大富に近づきつつあるという情報は、佐導甫が先に知ることになった。しかし、新莽もすぐに知ることになり、このことが両者の戦略を一変させた。
「少洪覇殿がすぐそこまで来ている!好機だ、攻めよ!一気に佐導甫を叩き潰せ!」
新毛は出撃を命じた。これに対して佐導甫は撤退を命じた。
「無念ながらこの地点を放棄する。このままでは包囲されて高台から下りれなくなるぞ」
一方で佐導甫は大富における優位な地点を得つつも、大軍で包囲されることを考えれば放棄せざるを得なくなってしまった。撤退と攻勢。わずかな差ながら佐導甫の撤退の方が早かった。
後に佐導甫は、少洪覇軍の接近に気が付かなければ、自分はこの世にいなかっただろうと述懐している。命からがら撤退することができたが、それでも凄惨な戦闘となった。
本来、撤退をするならば敵に気づかれないようにするべきなのだが、思いもよらない少洪覇軍の接近に動揺した佐導甫は、日中のまだ日の高い時間に撤退を開始した。そこに新莽軍が噛みついてきた。
「逃がすな!怯んだ敵に恐れることはない!」
新莽配下の将兵は、この数年間、幾度となく戦場を経験している。それに対して佐導甫軍はの戦歴は慶師近郊で探題と戦った程度である。実戦の経験差は戦局に如実に現れた。
後方を新莽軍に襲われた佐導甫軍は、大魚に尾を食いちぎられた小魚のようになった。殿が大崩壊し、軍勢としてのなりたたくなるほどにずたずたにされた佐導甫であったが、なんとか全軍の崩壊は免れ、佐導甫自身も戦場から脱出することができた。
「このまま無残に撤退しては尊将軍に笑われる。陣を立て直すぞ」
それでも佐導甫は戦う意思を捨てなかった。敗残兵を糾合すると野戦陣地を構築して、追ってくるであろう新莽軍を待ち受けることにした。
しかし、新莽軍は追ってこなかった。実はこの時、新莽は少洪覇との合流を急いでいた。佐導甫軍を崩壊させることよりも、来るべき尊毅軍との決戦に万全を期すことを優先した。五日後、少洪覇軍が来着した。
「おお、少殿。よく来てくださった」
「新将軍、お待たせした。いや、藩境に軍を留めておいて正解でした。今こそ主上を惑わす尊毅を討ち果たしましょうぞ」
少洪覇は長旅の疲れを見せず、寧ろ意気軒高としていた。




