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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
444/961

泰平の階~124~

 栄倉から自領に帰還した新莽は懊悩とした日々を過ごしていた。新政権において尊毅には完全に出し抜かれていたし、斎興を守ることもできなかった。ましてや斎治と尊毅の対立が明確になっても動くことのができず、そんな自分に苛立つばかりであった。

 『どうして主上は私に命じてくれないのか。尊毅を討てと』

 新莽は右将軍である。大将軍がおらず、左将軍である尊毅がすでに斎治との対立を鮮明化しいているのなら、自分こそが斎国軍の最高位ではないか。それならば斎治は迷うことなく、各地の諸侯に尊毅討伐を命じ、その大将に新莽を与えるべきであろう。しかし、慶師からは何の連絡もなく、斎治はまるで新莽のことを忘れているかのようであった。

 これについて多少斎治のことを弁護するとするなら、この時期斎治は、新莽も元条公の家臣であった新莽を警戒していた。尊毅討伐を命じ、軍を集め始めても、そのまま尊毅と合流するのではないか。斎治はそれを恐れており、決して新莽の存在を忘れていたわけではなかった。

 新莽もやや意固地になっていた。斎治の現状を憐れみ、本気で尊毅と対立する気概があるのなら、斎治の命令など待たず、慶師に駆けつけるべきであっただろう。しかし、斎治に忘れられているのではないかという疑念が新莽の矜持を傷つけ、心を堅くしていた。

 この新莽の頑なな心が解けた背景には、一人の女性の存在があった。

 その女性は僅かな供を連れ、新莽の屋敷を訪ねてきた。当然ながら、素性も分からぬ女性がいきなり新莽を訪ねても面会することもできないであろうが、その女性が名を名乗ると門兵はすっ飛んで新莽にその女性の名前を告げた。その名前を聞いた新莽は、手にしていた杯を投げ捨てると、自ら門前まで駆けつけた。

 「蝶夜……」

 その女性は間違いなく蝶夜であった。どれほど恋焦がれ、何度も何度も会いたいと思い続けても、もう無理であろうと諦めていた女性が目の前にした。

 「殿……お久しぶりでございます」

 「もう会えぬと思っていたぞ」

 「私もでございます」

 気が付けば新莽は蝶夜を抱きすくめていた。やや細くなったような気もしたが、間違いなく蝶夜の抱き心地であった。

 新莽は蝶夜を屋敷の奥に導くと酒を与えた。蝶夜は久しぶりに飲むのか、美味しそうに一気に飲み干した。顔色が一気によくなった。

 「今までどうしていたのだ?」

 新莽は蝶夜の杯に酒を注いだ。自分から離れた後、蝶夜がどうしていたのか。最も気になることであった。

 「殿が軟禁されたことで心ならずも条公の下に戻っておりました。そして、殿が栄倉を攻め落とした時、会いに行こうとしたのですが、諏益に捕らわれていたのです」

 「なんと!」

 「私のような妾でも条家の人間とされたのでしょう。敵に降るのを良しとせず、連れ去られていたのです」

 「そうであったか……」

 「それからはしばらく諏益達と行動を共にしておりました。尊毅将軍が諏益達を倒されたことでようやく解放されましたが、私は拠る術がなくなりました」

 「辛い思いをしたな」

 新莽が頭をなでてやると、蝶夜は寄りかかってきた。

 「正直、殿に合わせる顔はないと思っていましたが、縋ることができるのは殿しかおりませんでした。ですから、こうして恥を忍んで参りました」

 「恥などと思うな。俺はお前のことを恨んでなどおらんし、片時も忘れたことはなかった。よく俺を頼ってきてくれた」

 「ああ、殿……」

 蝶夜から求めるように口づけをしてきた。それで理性が飛んだ新莽は、ずっと抱きかかえていた蝶夜への愛情を一気に注ぎ込んだ。


 久しぶりの情事を終え、二人は抱き合ったまま朝を迎えた。目を覚ましても二人は裸のまま抱擁し合っていた。

 「片時の離れたくないぞ」

 「私もです。しかし、殿にはやらなければならないことがあるのではないですか?」

 「やらねばならないこと?」

 「はい。主上をお助けし、尊毅を倒すことです」

 蝶夜からそのことを指摘されるとは思っていなかった。何と答えていいのか分からず黙っていると、蝶夜が畳みかけてきた。

 「殿は立派な武人でございます。助けもなく窮地に立たされている主上をお助けしないで真の武人と言えるでしょうか?」

 蝶夜は涙ぐんでいた。心底悲しんでいるようであった。

 「しかし、主上のご命令がないと……」

 「殿が尊毅の後塵を拝し続けるのならそれでもよろしいでしょう。しかし、私は殿がそのような立場で終わるような武人ではないことを信じております」

 蝶夜の手が何度も新莽の体を往復した。その妖艶な動きは新莽の男を刺激した。

 「蝶夜……」

 「殿こそ斎国の大将軍に相応しい武人です。どうか主上をお助けし、大将軍になられてください」

 蝶夜の言葉は新莽を奮い立たすのに十分であった。もうひと時、蝶夜の逢瀬を楽しむと、魏介を含めた家臣達を呼び、軍を率いて慶師に上ることを告げた。

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