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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
439/961

泰平の階~119~

 夜。条行軍は部隊を細かく分けて栄倉から山道を上った。尊毅軍が山道に入ってきている様子はなく、まだ麓で陣を張っていた。

 「余裕を見せつけているようですな。舐められたものです」

 「しかし、敵が油断しているの確かだ」

 諏益の隣で敵軍の様子を探る条行は、尊毅がいるであろう本営の場所を確認していた。戦場に慣れた者や老齢な将軍であるならば、不自然に孤立している敵本営に疑念を持ったであろうが、仇敵を目の前にして沸騰している彼らの頭脳に冷静さなどなく、経験値のなさというのも彼らの視界を曇らせていた。

 「まさしく」

 条行を教導をすべき立場の諏益も同様であった。古の武弁者のような精神を宿している諏益であっても、それほど実戦での経験があるわけではなかった。戦場での経験という点でいえば、尊毅、尊夏燐の方がはるかに上であった。

 それでも念のために偵察を出して、尊毅軍本陣の様子を探らせた。

 「見張りの兵は少なく、早くも戦勝とばかりに酒を酌み交わしている将兵が多かったです」

 斥候の報告を信じた条行と諏益は、夜がさらに深くなるのを待って軍を発した。その数は三百にも満たない。これが条行軍のほぼ全軍であった。

 坂道を速く静かに駆け下りた条行軍は、突撃部隊を編成し、闇に紛れて敵軍の本陣に近づいた。

 「工作兵は馬防柵を引き倒せ。他の者は声をあげて突撃するのだ」

 諏益が指揮する突撃部隊が第一陣だとすれば、少し離れた所で待機しているのが条行自ら率いる第二陣である。第一陣の突撃が成功すれば、第二陣も突撃することになっていた。

 しかし、工作兵が馬防柵に近づくこともできなかった。工作兵が駆け出すやいなや、諏益達の周囲が急に明るくなった。

 「何だ!」

 諏益は自分達が敵兵に囲まれていることにすぐには気が付かなかった。無数の松明と、矢をこちらに向けている弓兵達の姿を見て、ようやく死地にいることを理解していた。

 「ふん。我らを侮ったな。わざと油断しているふりを見抜けないとは」

 戦う価値もない、と相手を侮蔑するように叫んだ尊毅は、矢の一斉射撃を命じた。三方より矢の雨が飛来した。突撃部隊は逃げ出すこともできず、尊毅軍による虐殺の餌食となってしまった。諏益も何も命じることもできず、体中に矢を受けて息絶えた。

 

 離れた場所で待機していた条行は、突撃部隊の周辺が急に明るくなったことで異変を察することができた。

 「してやられた!」

 夜襲が敵に読まれていた。諏益との事前の打ち合わせでは、夜襲に失敗すれば条行は栄倉に戻らず逃げることになっている。しかし、条行にはそれができなかった。

 「味方の将兵が無残にも死んでいる。見過ごせようか!」

 条行は突撃部隊の救援を決意し、前進を命じた。そこを、待っていましたとばかりに条行軍の側面から尊夏燐の部隊が姿を見せた。 

 「逃げ出さないというのは殊勝な心がけだ。しかし、この尊夏燐と出会ったのが運のつきだな」

 蹂躙しろ、と尊夏燐は命じた。尊夏燐配下の兵士には剛の者が多い。彼らはまさしく条行軍の兵士を踏み倒すようにして殺していった。

 条行も敵の猛攻に晒された。年端もいかぬ十二歳の条行は、自らも剣を抜き、自らを守ろとしたが、自分よりも遥かに体躯の良い敵兵に向かっていったところ、その兵士が繰り出す槍の一刺しで喉を貫かれた。自分が条行であることも知られず、戦場のいち将兵として骸を晒すことになった。一夜にして条行軍は消滅した。尊毅軍は何者にも邪魔されることなく栄倉を制圧することができた。


 条行軍の敗北を見届けた女性がいた。蝶夜である。彼女は条行を送り出すと、わずかな供回りを連れて栄倉宮を出て、戦場が見える山腹で待機していた。寡兵の条行軍が颯爽と尊毅を討ち取る光景を期待していたが、無残にも条行軍はほぼ全滅してしまった。その光景はあまりにも凄惨であった。

 「心優しき主上が多くの将兵を見捨ててお逃げにはならないでしょう。残念なことですが、主上は条公としての器量を存分に発揮されました」

 蝶夜はもはや泣かなかった。条行が条公として逝ったことを寧ろ誇るべきであろうと思っていた。

 「しかし、主上がご無念をもって亡くなられたことは確かです。そして、まだ先主のご無念も晴らされてはいません」

 もはや条家の無念を晴らせるのは蝶夜しかなかった。女一人で何ができるのかと思ったが、女でなければできぬこともあると思いなおした。

 「主上、お誓いいたします。裏切者が栄える国家など、この中原には現出させてはなりません。この私が必ずこの国の泰平を奪って差し上げます」

 蝶夜は言霊が条行達が彷徨っている天に達するのを確かめると、未練なくその場を立ち去った。蝶夜の戦いが始まった瞬間であった。

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