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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
438/958

泰平の階~118~

 尊毅軍到来の報が栄倉にもたらされると、条行達は色めきだった。

 「尊毅めが来るか!恥知らずの身が、よく栄倉の門前に立てるものだ!」

 諏益の怒りと興奮は、条行に与する者達の気分を代弁していた。彼らからすると尊毅は不倶戴天の敵、決して許されざる男であった。

 栄倉を陥落させ、条高を死に追いやったのは新莽であった。しかし、最初に条家を裏切ったのは尊毅であり、そこから堰を切ったように裏切者が続出した。そのことが条行達の怨嗟を一身に集めることとなった。

 「天は我を見放さなかった。父上のご無念を晴らす機会が来るとは」

 条行も興奮を隠さなかった。その興奮が条行軍を無謀とも言うべき選択を取らせることになった。それは即ち籠城ではなく、野戦において尊毅軍に挑むというものであった。

 「主上、それにつきましてはご再考ください」

 条行達が熱狂的になる中、一人冷静な才女が意見した。蝶夜である。この時彼女は諏益の拠点であった場所を離れ、栄倉に移ってきていた。蝶夜もまた、条行軍の幹部に等しい存在であったが、武人ではないということだけで唯一冷静になれていた。

 「主上の武人達はいずれも一騎当千の強者ぞろいですが、寡兵であることには間違いありません。ここは定石通り栄倉に籠り、敵の疲弊を待つべきではないでしょうか?斎興が大将軍の地位を追われたように、敵は一枚岩でありません。突き崩す機会は必ずあります」

 蝶夜の見識は、今の条行陣営の中で珠玉のものであったろう。しかし、それを活かすことができぬほど、条行達は尊毅を目の前にして思考が沸騰していた。

 「母上。母上の御忠告、ご尤もかと思います。しかし、武人として仇敵を目の前にして躊躇しておられません。父上の無念を晴らすことができるのなら、死を恐れてはならないのです」

 わずか十二歳の少年の言葉ではなかった。まだ母に甘え、友人と遊びたい盛りの頃であろうに、条行は武人としての精神をすでに確立していた。

 『良き目をしておられる。先主は素晴らしい子息を遺された……』

 わずかな時であったが、そのような少年に母と呼ばれ、蝶夜は純粋に嬉しかった。蝶夜は鎧姿の我が子の頬に触れた。熱い頬であった。

 「主上、もはや私は止めません。貴方が思うように生きなさい。後の始末は母に任せて、先主の敵を討っていらっしゃい」

 「母上……」

 条行は落涙し、母の手に触れた。

 「泣いてはなりません、武人でありましょう。貴方が泣く時は、尊毅の首級を先主に捧げる時です」

 「左様でございました。必ずや尊毅の首をあげ、この栄倉宮で父上の魂魄に捧げたいと思います」

 条行は深々と一礼をして踵を返した。これで凛々しい若武者を見るのが最後となるであろう。そう思えばこそ、母として蝶夜にはやるべきことがあった。


 条行軍からすると、籠城するであろうと油断している尊毅軍に奇襲を仕掛けることは、決して悪手ではなかった。疾風のように尊毅軍本営を強襲し、尊毅の首を取れば、情勢はどう変化するか分からなかった。

 しかし、戦場においては尊毅軍の方が一枚も二枚も上手であった。尊毅軍は栄倉を目前にして七つの山道を押さえるように布陣した。その布陣は虫をも逃がさない完璧なものであったが、尊夏燐が兄に意見を呈した。

 「敵は寡兵であるから、一か八かの勝負に出てくるかもしれない。夜襲には備えた方がいい」

 尊夏燐は一般的には猛将として知られていた。それでも戦場における勘のようなものは兄である尊毅を上回るものがあり、何よりも彼女は短い期間であったが劉六の薫陶を受けていた。決して猪突するような思慮のない真似をする将帥ではなかった。

 『敵と相対する時は敵の気持ちになってみろと劉六は言っていた。私が条行だとすれば、勝つには兄貴を奇襲で倒すしかない』

 尊夏燐はそう考えたからこそ、尊毅に進言したのであった。

 「確かに」

 尊毅も戦略眼は非凡である。尊夏燐の言わんとすることを正確に理解していた。

 「ならばこちらがあえて隙を見せてもいいな……」

 尊毅としては一戦で条行を確実に討ち取りたかった。尊毅が抱く大望のためには、条行如きに時間と人員をかけるわけにはいかなかった。

 「よし、本営を前進させ、右翼左翼は少し本営から離れろ。後は夏燐、お前の呼吸に任せる」

 「ふふ、任せろ、兄貴」

 こういう呼吸の合い方は兄妹ならではであった。詳細な打ち合わせもせずに、尊夏燐は尊毅の天幕から出て、自分の部隊がある場所へと帰っていった。

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