泰平の階~109~
慶師の情報は逐一、栄倉を囲む斎興に知らされた。尊毅が赤崔心を慶師に連れて行き、斎治が赤崔心を許したというのは、斎興に焦りを感じさせていた。
「尊毅の名声をあげることになってしまった。それに引き換え、俺は無能よ」
斎興は、新莽など参軍している諸将の前で弱音を吐露した。
「大将軍、焦られる必要はありません。焦ると逆に仕損じます。ここは腰を据えてじっくりと参りましょう」
新莽は諸将を代表するように斎興を慰めた。
「ふむ。そうだな。日に日に籠城攻めは効果を出している」
栄倉を脱出し、斎興軍に助けを求めてくる市民や下級兵士が日々増えている。彼らからの話によると、栄倉では完全に配給制が敷かれ、一日一食に制限されているらしい。これにより栄倉を占拠している条行軍に批判の目が向けられているという。条行軍が瓦解するか、やぶれかぶれに栄倉を脱出して決戦を挑んでくる日もそう遠くないだろう。
『今はまだ待つしかないか……』
斎興は逸る気持ちを押さえ、自重するように自ら言い聞かせた。
平安を取り戻した慶師では、次なる視点は当然ながら栄倉での戦線に向けられた。当初は栄倉を籠城戦で攻略しようとする斎興の選択に対して評価をしていた斎治であったが、時間が経つにつれて疑義が生じるようになっていた。
『やはり斎興は能がないのではないか……』
先に栄倉を攻略した新莽は軽々と栄倉を攻め落としたではないか。そういう記憶があるから、斎治は時間をかける斎興の能力を疑わざるを得なくなっていた。
「大将軍が苦戦しているようだが、尊毅はどう考えるか?」
このところ斎治は、軍事面については尊毅に信頼を寄せていた。慶師を陥落させる様をまじかで見ていたし、赤崔心を心服させたことも尊毅への評価を高くしていた。
「先に新莽将軍には勢いがありました。あの時のように上手くはいかないと思います。じっくりと兵糧攻めする作戦は良策というものです」
「ふむ……」
尊毅はそう言うが、やはり心配であった。正直なところ、赤崔心が仮に反乱を起こしても恐ろしいとは思っていなかった。寧ろ恐ろしいのは、条国の亡霊達であった。条行などはまさにそれで、条国の関係者が決起すれば武人達が続々と離反するのではないかという恐怖が常に付きまとっていた。今はそのような様子はない。しかし、時間が経つにつれ、武人達の心が条行に向かうのではないかという懸念を斎治は抱いていた。
「尊毅が代わりに行ってくれるわけには行かぬか?」
「それはならぬでしょう。大将軍が手柄を奪いに来たと不快に思われるでしょう。ただでさえ大将軍は……」
尊毅が顔色を改めて黙り込んでしまった。何やら失言をしてしまったかのような感じで会った。
「大将軍がどうしたか?」
「いえ、口の端に乗せるのも憚れまる戯言でございます」
「構わぬ。ここには余とそなたしかいない」
申せ、と斎治は言葉を続けた。
「そこまで仰せならば。実は大将軍が先ごろの戦いで挙げた華々しい戦果は、すべて劉六なる男の知略によるもので、大将軍はその者の功績を独り占めにしたと噂する者がおります」
「劉六な……。聞いたことがあるような、ないような名前だな」
斎治は本気で劉六の名前を思出せずにいた。斎香と結婚させるという話を斎興からされて、自分が反対したことも当然ながら斎治は忘却していた。斎治にとって劉六とはその程度の人物であった。
「で、その劉六とやらはどこにいる?それほどの軍略家ならば臣下に加えてよいではないか」
「これも噂話でございますが、斎興様が劉六の口から功績についての真実が漏れるのを恐れて刺客を放ったといいます。それで劉六は我が国を出て、いずこかに姿を消したとさせています」
根も葉もない噂かと思いますが、尊毅は念を押した。それでも斎治は不快さを隠さなかった。
「斎興がそれほど器量のない男だと思わなかった。戦の才がなく、他者の功績を横取りするような男であれば、赤崔心を心服させることもできないし、栄倉も落とせないか」
噂でございます、と尊毅が重ねて言った。しかし、斎治はあまり聞いていなかった。
「ひとまず栄倉を陥落させ、条行を捕らえねばなるまい。それから将軍達の編成は考え直さねばなるまいな」
あくまでも噂でございます、と尊毅はさらに重ねて言った。火がない所には煙は立たないという。斎治の斎興を見る目が確実に冷ややかになっていった。




