泰平の階~108~
尊毅が赤崔心を連れて斎慶宮に参内したのは、北定が帰国した直後であった。居並ぶ群臣の中に北定がいることに気が付いた尊毅は僅かに驚いたが、それを表情に出さず、淡々と斎治に対して報告をした。
「ここにいる赤崔心は主命がありながらも慶師を出たことも、また主上に対して疑わしき行動をしたことにも深く反省しております。このうえは恩賞などに不満を漏らさず、赤心をもって主上の尽くすと申しております。つきましては我が功績に替えても寛大なご処置を賜りますようお願い申しあげます」
尊毅が深く頭を下げると、庭先で蹲っている赤崔心も両膝と額を地に着けた。
斎治は難しい判断を迫られていた。赤崔心は慶師を引き払い、拠点に籠ったが、明確に兵を挙げたわけではない。戦闘は行われておらず、双方とも一兵も損じていない。戦いが起こる寸前で赤崔心は自分の非を認めて慶師に戻ってきたのである。厳しい処分を言い渡せば赤崔心の部下達が承知せず今度こそ戦いになるだろう。また寛大過ぎる処置であっても、群臣に対して示しがつかなかった。
『寛大な処分とすべきだろう』
実は斎治はすでに心に決めていた。今の斎国の状況で余計な乱を起こしたくなかった。寧ろ国主として寛大なところを見せて国主としての徳を高めようと考えていた。
「崔心には何か誤解するところがあったのだろう。それは余の不徳とすることだ。許して欲しい。今後は再びの余のために働いてくれ。そなたの不満もきっと善処するであろう」
斎治はそう言いながらも、坊忠達文官の様子を横目で確認していた。赤崔心が不満をぶちまけたのは坊忠を筆頭とする文官である。彼らが功なくして膨大な恩賞を得たことが不満であり、赤崔心は彼らを口汚く罵ってきた。当然ながら文官達は赤崔心が許されることに納得しないだろう。しかし、斎治は黙殺することにした。
実は斎治は事前に北定と費俊にこのことについて相談していた。斎治は赤崔心を許すつもりであったが、北定の意見は違っていた。
『赤崔心が主上に対して犯意をもっていたのは、大将軍の使者を追い返しただけでも明らかです。領地替えなどの処分をすべきでしょう。同時に武人達が納得する恩賞をすべきです。私からしても坊忠などは貰い過ぎです』
北定の処分案はまさに喧嘩両成敗と言うべきものであった。この処分案であるならば決して軽くはないし重くもない。それでいて赤崔心を罰したという事実は残る。同時に武人達の不満を解消してやれば、すべてを丸く収めることができた。しかし、
『それでは坊忠達が可哀そうではないか?』
斎治からすると、決して坊忠達は得た恩賞が多い過ぎるとは思っていない。彼らは確かに斎治が国主に復権する際には目立った働きはしていない。しかし、斎治が不遇な時代から従ってきてくれた者達ではないか。彼らの苦労に報いてやって何が悪いという気持ちが斎治にはあった。寧ろ武人達の貪欲さに辟易するほどだった。
『主上、私も北定様の意見に賛成です。主上のご意見には一理あるかと思いますが、武人達の不満を放置していては大変なことになります』
費俊も北定に同調した。斎治はここでも不快感を隠さなかった。そのまま北定と費俊を下がらせて、我が意を貫き通すことにした。
斎治が赤崔心への処分を言い終わると、朝堂がしんと静まり返った。坊忠は苦り切った顔をしているが何も言わずにいた。北定と費俊は斎治のことを見ることなく、ずっと押し黙っていた。
「流石は主上でございます。これで赤殿も主上の徳をさらに感じ、より忠勤に励むでありましょう。いや、めでたいめでだい」
沈黙を破ったのは佐導甫であった。彼の言葉に斎治は救われる思いであった。
「さて、堅苦しい話はこれまでだ。これより皆で酒を酌み交わそうではないか。お互い打ち解ければ、誤解も解消できよう」
斎治は場の緊張を説くように陽気に言った。その陽気さに応じてくれたのは参列していた将軍達だけであった。
斎治が主催した宴席は将軍達を中心にして大いに盛り上がった。北定と費俊はわずかな時間参加しただけで、すぐに退出していた。
「武人達にしてやられたという感じになってしまいました。これも私の非才のせいです」
費俊は北定が不在の間、上手く国内をまとめられなかったことを深く反省していた。北定は慰めるように費俊の肩を叩いた。
「お前のせいではない。誰のせいでもないと言いたいが、これでひとつはっきりしたことがある」
「はっきりしたことですか?」
「そうだ。尊毅はやはり注意すべき人物だ。奴は今回の働きにより、武人達の衆望をさらに集めることになった。逆に斎興様の武人としての名声は色褪せる結果になった。尊毅さえ丸め込めればと考えていたが、どうも私の考えが甘かったらしい」
「確かに……」
「いや、問題はそれだけではない。主上が私やお前の意見に耳を傾けなくなったことだ。こちらの方が大きいかもしれない」
北定が大きく嘆息した。その気持ちは費俊も同様であった。
「別に私は自分の意見がすべてだと言う傲慢な考えを持っているわけではない。だが、君主が臣下の意見に耳を傾けなくなり独善が過ぎると、いざ君主が過ちを犯した時に誰も諌止しなくなる」
「左様です。しかし……」
「私は泉公に直接お会いすることができた。あの方こそ中原の歴史に名を遺す名君となるだろう。臣下の言をよく聞き、そこから最良の判断を下すことができるお方だ。我が主上も英明であるだけにその素養があると思うのだが……」
どうしてこうなってしまったか。北定の憂鬱はまさにそれにつきた。




