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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
421/959

泰平の階~101~

 その青年が訪ねてきたのは、その日の最後の患者を送り出した直後であった。すでに診察終了の看板を出していたのだが、その青年は構いもせず診療所の扉を開いた。

 「あの、今日はもう終了なのですが、急患ですか?」

 僑秋が応対に出た。診察室の奥から顔を覗かせた劉六は、青年の姿をちらっと見た。見た感じ、病気や怪我をしている様子はなかった。身なりはどこにもでもいる工人か商人の青年と言った感じで、敵意や害意のようなものは感じられなかった。

 「実はちょっと体調が悪くて……」

 青年は言った。しかし、やはり見た感じでは体調が悪そうな様子はなかった。

 『慢性疲労か……』

 そう判断した劉六は、僑秋に精のつくものでも食べなさいと言うように指示しようとした。だが、どうにもその青年に不思議な雰囲気を感じていた。

 「僑秋君。こちらに来てもらえ」

 劉六は僑秋に向かって言った。僑秋は怪訝そうな顔をしながら、青年を案内してくれた。

 「遅くにも申し訳ありません」

 近くで見た青年は、細身の割に筋肉質で、よく鍛錬されているようであった。

 「ふむ……」

 劉六は青年の脈を取ったり、触診をして体の状態を探った。別段、異常がある様子はなかった。

 「体調が悪いとは、具体的にもどんな感じですか?」

 「仕事のことで色々と思い悩むことがあり、眠れない日もあります。体全体がどうも重くてだるいんです」

 精神的な心労による疲弊だろうか。そういうのは気分的なものなので、治すには余暇を取るのが一番であった。

 「心労であるならば、余暇を取られるのが一番でしょう。適度な休みを取っり、精のつく食べ物を召し上がってください」

 劉六はそれだけを言って、診療録を書き始めた。

 「薬はいただけないのですか?」

 青年は問うた。必要もないのに薬を欲しがる患者というのはどこにもでもどの世代にもいた。

 「貴方の場合は必要ありません。というよりも、今の貴方に相応しい薬などありません」

 「では、診療代は?」

 「いりません。薬を出さないし、この程度の診療では金銭は不要です」

 なるほど風変わりな医者だ、と青年ははにかんだ。自分がそのように世間から思われているのは少々心外であったが、青年の様子からすると好意的に捕らえられているらしい。気にしないでおくことにした。

 「もしそれで改善しなければ、また来てください。で、貴方の名前は?」

 「樹弘と言います」

 樹弘。聞いたことのある名前だ。どこでその名を聞いたか思い出す前に、青年は語り始めた。

 「やはり貴方は僕が思っていた通りの方だ。今、僕に必要な薬は貴方自身だ。ぜひ、手がすいた時にでも僕のところに来てください。もし無理ならば、僕がここに来ます」

 青年―樹弘は、懐から一枚の符を差し出した。それが泉春宮に入ることができるものなのだと劉六が知るのに時間を要することはなかった。


 樹弘が即位し、目覚ましく復興を遂げる一方で様々な問題も発生していた。その一つが泉春の人口の爆発的な増加であり、それに伴い制度や設備の不足であった。とりわけ医療に関しては、慢性的な医者不足にあり、樹弘の悩みの一つとなっていた。

 「できれば他国でもいいから優秀な医者か医学者を招聘して、医学校でも作りたいものだ」

 樹弘は常日頃からそう漏らしており、厳侑がもたらした面白い話を聞いて、すぐに動きだ割いた。

 『劉六先生に医学校を作ってもらおう』

 そうなれば自分が動かないと気がすまないのが樹弘である。すぐさま単身、劉六の人となりを見聞し、この人なら任せられると判断したのである。


 さて、劉六の方である。樹弘の唐突な訪問と、招聘に驚きを隠しきれなかった。

 『弱ったな……』

 劉六としては、国家権力にかかわるのはもうこりごりであった。国家権力のために働いてろくなことにならないのは斎国で得た教訓であった。

 しかし、一方で自ら足を運んできた樹弘に対して誠意を示したいという気持もあった。おそらくは劉六が早く泉春で開業できたのは樹弘の意思によるものであろう。その迅速さを思えば、そうとしか考えられなかった。しかも樹弘は、劉六の邪魔にならないように供を外に待たし、診察時間外に訪ねてきた。国主らしくない粗衣を着ていたのも、周囲に迷惑をかけない樹弘の配慮なのだろう。そういう国主が中原の過去の歴史にいたであろうか。

 『斎興様も有徳の人だと思っていたが、泉公は格が違う』

 斎興もまた身分の低い者に対して理解はあった。しかしそれは高貴な身分の者が下々に示す憐れみに過ぎず、樹弘のそれはあくまでも同等の視線で語り掛けているものであった。

 『泉公の下で働けば斎国でやったこと以上のことができるかもしれない』

 そう思うと劉六は興奮を禁じえなかった。それこそがきっと樹弘という君主の魅力なのだろう。

 「会うか……。泉公に」

 少なくとも慶師にいた時のように命を狙われることはないだろう。劉六自身は泉国に骨を埋めてもいいと思い始めていた。


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