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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
413/958

泰平の階~93~

 貴人達の宴席というものがどういうものか。それは劉六には未知の世界であった。

 広い会場に無数の人が杯片手に談笑していた。いずれも斎香が来ていたような煌びやかな衣装を身にしており、広間の真ん中には歌い、踊っている者もいた。

 『帰りたい……』

 およそ学問以外に道楽というものを持たない劉六からすれば、歌舞音曲の類は時間と労力の消費でしかなかった。適庵とその門下生という気の合う者同士とでしか酒を共にすることがなかった劉六からすると、この空間は異状であった。

 「なんだい、来たばかりなのに、もう帰りたいって顔をしているね。劉六さん」

 ぼさっと入り口で突っ立っていると、見知らぬ女性に声をかけられた。真っ赤な衣装に身を包み、すでに酒量を得ているのか顔にも赤みが刺さっていた。

 『はて……』

 その女性は、劉六のことをまるで知己のように気軽に話しかけてきた。年の頃なら劉六と同じぐらいかもしれないが、そのような知り合いの女性に記憶はなかった。

 「ふふ、どなたですかって顔をしているな。私は尊夏燐。左将軍尊毅の妹さ」

 「ああ……」

 おぼろげながら思い出した。尊毅軍が西征した時、千山方面の部隊長を務めたのが尊夏燐のはずであった。劉六は火牛の計を用いて、千山を攻める尊夏燐軍を退けていた。

 「千山の時は世話になったな。私を負かす男がどんな男かと思っていたが、ふうん、なかなかのもんだね」

 「どうして私のことを知っているのですか?」

 あの時、劉六は己の名前を表に出さないようにしていた。だから、尊夏燐を敗北させたのが劉六の作戦であるというのは一部の人間しかしらないはずである。

 「尊家の情報網をなめてもらっては困るね。ま、あんたのことはそれ以前から知っていたんだが、それはいいや」

 ちょっと付き合ってくれよ、と尊夏燐は、腕を劉六の首に回した。

 『迷惑な酔っ払いだなぁ』

 ますます帰りたい気分になっていると、助け舟とばかりに斎香が僑秋を伴って姿を見せた。

 「あらあら、名家のお嬢さんにしては蓮っ葉なことですこと」

 「あん?姫様じゃねえか。ふん、お姫様が町医者に御用でもあるんですか?」

 「ええ、ありますわ。劉六先生は私の先生なんですの。今日も私が先生をお呼びしたんですわ。ささ、先生、こんなお転婆はほっておいてお食事でもいただきましょう」

 斎香が劉六の手を取って尊夏燐から引き離してくれた。尊夏燐は険しい顔をしていたが、相手が斎香とあってはそれ以上何も言えないのだろう。劉六はかすかな尊夏燐の舌打ちを聞いていた。

 「まったく、何を考えているんでしょうね、あの女。まさか先生を軍師として迎えたいと思って色仕掛けでもしているつもりなんでしょうか」

 「私を軍師とか、ふざけている。私は一介の町医者だ。たまたま斎興様のもとで軍事的な知識を役立たせただけだ」

 「あらあら、先生。先生はよく物事をご存じですが、自分が立たされている立場については無知というか、鈍感ですわね」

 斎香は嬉しそうであった。

 「どういう意味ですか?」

 「もはや先生は一介の町医者ではないということです。先生の智謀は広く知れ渡っています。それを得る者こそが、今度来るべき戦を優位に進めることができる。誰しもがそう思っていますのよ」

 「来るべき戦……。そのようなものが起きるのですか?」

 と言いながらも、そのことを最も用心していたのは劉六であった。用心していたからこそ、斎興に戦後の主導権争いについて色々と助言をしてきたのだ。だが、劉六の不用心さは、自分がその争いの鍵の一部になっていることに気が付いていないことであった。

 「少し外で涼みましょう。人が多いのはどうにも疲れますわ」

 斎香は給仕がもってきた杯を適当に手にし、劉六と僑秋を中庭に誘った。

 「お兄様が大将軍、そして尊毅が左将軍、新莽が右将軍。実質的に軍事力を握っている三人の中で、地位としてはお兄様は一番上ですが、動員できる兵力が最も多いのは尊毅です。これを良しとしないお兄様は、直轄軍の創設を急いでいますが、尊毅としては面白くないでしょう」

 劉六は驚かされた。まさに慧眼というべきだろう。やはり斎香はただの姫様ではなかった。彼女が言ったことは、劉六が新政権で懸念していることであった。

 「御一新が成ったとはいえ、軍事についてはまだ各諸侯の私兵でしかない。貴女はなかなかの洞察力をお持ちだ」

 「先生に初めて褒めてもらいましたわ。実はお父様やお兄様は反対なさっていますが、結十や董阮は私と先生を娶せようとしていますのよ」

 劉六は絶句した。後で僑秋が息を飲むのが聞こえた。

 「私が貴女と?」

 「ええ。お父様とお兄様が反対なさっている以上、なかなか難しいでしょうけど、私としては満更でもありませんのよ。先生を夫とすれば、退屈しないで済むでしょうから」

 「私は貴女の退屈を紛らわすためにいるのではないのですよ」

 劉六は幾分か冷静になれた。彼女の言葉のどこまでが本気でどこまでは冗談か皆目分からなかった。

 「そうですわね。でも、先生の才能は、これからの時代にも必要となるでしょう。それを行使なさるか、それとも隠し続けるか。先生次第ですわね」

 さぁ、お食事もいただきましょう、と斎香は宴会が行われている広間へと戻っていった。劉六は戻る気になれず、そのまま帰ることにした。

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