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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
404/959

泰平の階~84~

 随分と喊声が近くなってきた。それが味方のものであろうが敵のものであろうが関係なかった。戦闘が近づきつつある、ということには間違いがなかった。

 「戦況を見てこい。逐一報告するのだ」

 円洞がそう命じたのは、戦闘の指揮をするためではなかった。自分を含めた死の時間までどれほどあるか知るためであった。

 「そろそろ覚悟を決める時か?」

 条高が問うてきた。すでに奥の間には条高と円洞の他には身の回りを世話する小姓が数名いるだけであった。

 「まだまだでございましょう」

 「そうか……」

 条高は手にしていた太刀を床に置くと、小姓に茶を所望した。

 「円洞は、どうして余が正妃を設けなかったと思うか?」

 条高には子が一人いたが、正妃ではなく愛妾の子であった。条高が正妃を迎えることはついに一度もなかった。

 何を突然、このような場で言うのだろうか。円洞が答えられずにいると、条高は一口茶を飲んだ。

 「余は家族を持つことを極度に恐れた。母を早くして失い、父も子を子として顧みることがなかった。家族というものをほとんど知らぬ余が家族をもったところで、ろくなものにならぬと思っていた」

 愛妾に生ませた条行を手元に置かなかったのもそのためなのだろうか。確かに条高は家族の愛情というものを知らぬうちに成人となり、条公となった。

 「父が亡くなり、条公という地位を譲られたが、余は別に譲って欲しくはなかった。余は武芸もできなければ、経世済民の才もない。そのような阿呆が条公となることほど不幸なことはなかったであろうよ」

 条国は滅ぶべくして滅ぶのだよ、と条高は自嘲した。

 「社稷を担うのは公だけありますまい。それを言うならば、臣下すべての責任でありましょう」

 「どちらにしろ、余が家庭を持てば、その者達の未来は不幸しか訪れない。余が家庭を持たなかったのは、まさにそのためだ。早く守全にでも継がせておけばよかったか」

 すべては後の祭りだ、と条高は飲み干した茶碗を後ろ手に投げ捨てた。

 「済まなかったな、円洞。余のような盆暗に仕え、最後まで支えてくれて」

 「仰いますな。それが円家に生まれた私の定めです」

 鬨の声がさらに近づいてきた。戦況を見聞してきた兵士が戻ってきた。敵が栄倉宮の門前に迫っているという。

 「そろそろかな……」

 条高は太刀を引き寄せて抜いた。条家代々伝わる業物である。刀身は鈍く輝いていた。

 「先に行くぞ、円洞。盆暗であったが、余は条公として死にたい。敵に遺骸を渡すな」

 「勿論でございます」

 「ふむ……では」

 条高は躊躇うことなく、太刀の切っ先を自らの喉に突き刺した。条高の喉から鮮血が噴き出ると、そのまま力なく倒れた。

 「お見事な最期でした」

 条高の最期を見届けた円洞は薄く涙を流しながら、自らももろ肌を脱いだ。

 「私もここで自刃する。お前達は見届けたら栄倉宮に火を点けて脱出しろ。主上と私の最期を条行様と諏益に伝えるのだ。後追いは許さぬ」

 円洞は小姓達に厳しく言いつけた。彼らは号泣しながらも、激しく頷いた。

 「では、いざ!」

 円洞は腰の小刀を抜くと、腹に突き立てた。かっと体が熱くなるのを感じながらも、小刀をより深く腹に突き刺し、横に引いた。薄れる意識の中、小姓達が慌ただしく動く足音だけが聞こえた。


 栄倉宮に迫った新莽は、宮の一隅から煙があがったのを視認していた。

 「栄倉宮に火がつけられたぞ」

 前線からも報告が飛んできた。

 「叔父上!」

 魏介が色めきだった。栄倉宮が火の海になれば、迂闊に突入することができない。その隙に条高に逃げられてしまうかもしれなかった。

 「あの方向は奥の間か……」

 新莽は今すぐにでも馬を腹を蹴って駆け出したい気分であった。条高が生活する奥の間で火の手があがったとなれば、蝶夜も無事ではないだろう。

 「叔父上。如何致しましょう」

 「消化隊を組織しろ。火の手が広がることを防ぎつつ、兵士を突入させろ。同時に栄倉宮の包囲を強固にして、脱出する者は女官であってもひっ捕らえろ」

 新莽は命令を下しながらも、燃え広がる栄倉宮から目を離さなかった。自ら謀反を起こしたといえ、かつての主君の居城が燃える光景に感傷的にならないはずがなかった。

 「斎興様に早馬でお知らせするんだ。栄倉を占拠したと」

 おそらくは条高は脱出して生き延びるということはしないだろう。新莽は密かに条高の冥福を祈った。

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