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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
40/959

黄昏の泉~40~

 吉野に到着し、数日が過ぎた。

 景秀の容態は良くもならず、悪化することもなかった。この間、今後の行動について甲元亀と景朱麗を中心に話し合われたが、平行線を辿り進展はなかった。

 だが、樹弘には収穫と言うべきことがあった。自らの出自のことである。市井で育った樹弘がどうして真主の証である神器を持っていて、使えることができたのか。その謎は分からぬままであったが、甲朱関が示唆を与えてくれた。

 「主の姓が樹となっているのは、樹班殿が関わっているのではないでしょうか?」

 甲朱関は湿り気のある口調で言った。

 「なるほど。樹班か……わしも耄碌したもんじゃわい。どうして気がつかなかったのか……」

 甲元亀が嘆息しつつ納得したように頷いた。

 「樹班ってどなたです?」

 「公子淡様の家宰です。淡様にはご子息がおられ、樹班殿の娘が面倒を見ておられました。相房の乱の時に、樹班殿と娘はご子息を連れて落ち延びられたのではないでしょうか。そしてそのまま我が子として育てられた」

 「それが僕?」

 樹弘は公子淡の息子というわけである。そして樹弘が母と思っていた人は、樹班の娘ということだろうか。

 「ちなみに主上の母君のお名前は?」

 樹弘は甲朱関に問われるままに答えた。

 「母の名前は夏と言いました」

 「ああ、まさしく樹班殿の娘は夏と申したはず。これですべてがつながりました」

 甲元亀が納得したように何度も頷いた。あまりにもできすぎている話なので、本当なのだろうかと疑ってしまうほどであった。樹弘を国主としたいがために、甲元亀が嘘をついているのではないだろうか。

 「でも、やはり僕には国主の資格なんてありませんよ。そんな器ではないですし、僕がこれを抜けたのも何かの間違いで……」

 このままでは本当に国主にされそうであった。樹弘は全力で否定した。

 「主上。国主になるに資格などないのです。なりたい者がなればいいのです」

 「朱関!何を言っておるんだ!」

 甲元亀が突如とんでもないことを言った孫に食って掛ったが、当の甲朱関は笑みを浮かべて祖父の言葉を制した。

 「相房がよい例です。かの者は国主になりたくて国主となったのです。先ほど蜂起した偽の公子淡も同様でしょう」

 そういう意味では私も国主になれます、と甲朱関は真面目な顔をして言った。

 「しかし、国主になったからにはなり続けなければなりません。相房は人民にむごい生活を強いたがためにその地位が風前の灯になっています。偽の公子は言うまでもないことです。これは資格のためでしょうか?」

 「違うと思います。それは振る舞いのためでしょう」

 樹弘はどうも甲朱関の問答に乗せられているようであった。

 「そうです。国主になってからの行いなのです。天を敬い、地を畏れる。家臣をよく用い、人民を愛する。生活を慎み、日々精進する。その行いこそ、国主に相応しいでしょう」

 要するに国主になってからの行いこそがすべてだと甲朱関は言いたいのだ。国主になるための資格や器量などは根本的に必要ないと言うことうだろう。随分と大胆なことを言っているのだが、樹弘はなぜか納得してしまった。

 「じゃあ、朱関さんが国主になりたいと国主になって、そのような行いをすればいいではないですか?」

 「左様です。しかし、それで家臣や人民がついてくるでしょうか?家臣や人民がこの人こそ国主に相応しいと思ってもらうには、私が先ほど言った振る舞いだけでは足りないのです。その足りない部分を補うのが太古より真主のみが使えるという神器なのです」

 言っている意味は理解したが、何だかはぐらかされているような気もした。結局、国主には神器を持つという資格が必要なのではないだろうか。樹弘がそのことを言うと、景朱関は首を振った。

 「なるということと、なり続けることは違うということです。なるだけなら誰でもできますが、なり続けるには資格とそれに相応しい振る舞いが必要なのです。それはやはり天によって定められた者しかなれず、なってからその資質が問われるのです」

 樹弘は甲朱関の言に困惑するしかなかった。段々と甲朱関が何を言っているのか分からなくなってきた。言葉を弄し、煙に巻くのがこの男の特技なのかもしれない。

 「要するになってみなければ分からないということですよ」

 樹弘の困惑を察した甲朱関は、にっと笑いながら付け加えた。樹弘はもはや反論する言を持ち合わせていなかった。


 吉野に到着してから小康状態が続いた景秀であったが、俄かに様態が急変した。景秀が寝かされている寝台を樹弘をはじめ、景三姉妹、甲元亀と甲朱関、景弱が取り囲んだ。駆けつけた医師が脈を計っているが、手を離すと景朱麗に耳打ちをした。

 「今晩もてば良い方でしょう」

 傍にいた樹弘には医師の言葉がはっきりと聞こえた。気丈な景朱麗は表情を変えず、小さく頷いた。

 医師が退出すると、それを待っていたかのように、ううっと景秀が唸り声を上げ、ゆっくりと目を開けた。

 「父上……」

 「なんて顔をしているんだ……黄鈴」

 景秀は末の娘を労わりながらも、視線は樹弘に合わせた。

 「主上……。主上と朱麗だけにしてくだされ……」

 樹弘は甲元亀に目配せをした。甲元亀は頷き、他の者に退出を促し、自らも部屋を後にした。

 「主上。折角、主上と巡り会えたにも関わらず、この様なことになって申し訳ありません。臣は役に立てそうもありません」

 景秀は堪えきれずに涙を流した。その涙を拭うことも、今の景秀にはできなかった。

 「不肖ながら我が娘は役に立ちましょう。存分にお使いください。そして、泉国を……泉国の民をお願いいたします」

 そう言われ、何と応えて良いのか樹弘には分からなかった。ただ、今の景秀を前にして頑なに国主となることを拒むこともできなかった。

 「朱麗。今日よりお前が景家の当主だ。才ある限り、主上にお仕え申上げろ」

 よいな、と景秀が念を押すと、景朱麗は明瞭に、はいと応えた。

 「これで我が国は安泰である。祝着祝着……」

 景秀は弱々しく笑った。それが景秀の最後の笑みとなった。夕刻、景秀は樹弘達に看取られながら、この世を去った。

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